海底の土壌を改善するいくつかのアプローチ。。。須佐海の森を作る会

須佐海の森を作る会にて

先日は役員会でした。

現状の報告とこれからについてです。

 

今年は、ほぼ、活動らしきことができませんでした。

中学校での講演会日程も、728の直後を予定していましたので、

延期そして中止に。

 

当然、災害が起きてからの、海は濁りに濁り、

夏の暑さで、海水温も上昇。あらめ等を含め海藻が枯れました。

そして、更に水害で流出した土砂汚泥が須佐湾内に堆積。

湾内生態系は壊滅的な被害を受けました。

  魚も釣れません。

その現在の様子です。

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[youtube]https://www.youtube.com/watch?v=WJPLhMj3zb4[/youtube]

撮影協力:スサリゾートダイビングサービス

 

名勝・天然記念物であり、

北長門海岸国定公園内、海中公園とまで指定されている

「須佐湾」の海底の現状です。

 

発想を変えてみよう!

このいつまで待っても流れ出ていくことのなさそうな海底の土壌が

どこかのヘドロ化した河川底の絵ヅラと重なって見えた時、

私の中では、

「これって、どかすことより、土壌として進化させた方がいいんじゃないかな?」

という思いが出てきました。

 

どのみち、海藻から貝類など、餌もなくなり死滅するばかり、

きめの細かい泥・砂が自然に流れて消えていくことなど、なんの根拠も無い希望でしかない。

であれば、多くの微生物が繁殖しするような土壌底質改良ができないものか!?

 

まあ、そんな素人の思いつきですから、

事例もない難しいことかと思いきや、

いやいや、あります方法は。

 

個人的に有望なアプローチを集約すると。。。

ざくっと、アプローチとしては、いくつかありますが、

個人的に有望だと思うのは

1つは、「鉄イオン」の注入。

1つは、「微生物」を使ったバイオ浄化。

この2タイプです。

 

これだけ大きな被害面積がありますので、

期間・面積・費用・許可・実施体制など難問・課題は多いのですが、

復興事業は、議員さんの活躍もあり、農業方面には支援策が次々と示されています。

 

しかし、なかなか示されることのない漁業への復興支援という面でも、

今、可能性のあることを見つけて、提案してゆきたいと思います。

尚且つ、民間で、できるアプローチというのもあります。

練り込んでゆきたいと思います。

 

魚介類の豊富な、元の自然環境に戻すために!

さあ、やりますよ!

10年後の須佐とは。。。

復興計画と町の変化いろいろ。。。

須佐や田万川地区で被害の大きかった河川流域ですが、

10年計画で、川幅の拡張、橋梁の架け替え、

川底の掘り返し等が行われるそうです。

 

そこまでしてくれる(そこまでできる)のは、

国が復興に予算を組んで頂けたからですが、

それが、10年後まできっちり履行されるかどうかは、ともかく、

壮大な目標な分、きっちりした計画が当然要求されますし、

一気に事が進むわけではないことは、住民もわかっています。

 

しかし、 土嚢でとりあえず防いでいる護岸や道路の崩落現場なども、

この計画履行待ち状態で、災害後のままです。

 

今来ている台風のような、ちょっとした豪雨は、

実際の身の危険を感じている家屋や集落もあるので、

早く、進まないものかと思う気持ちを、誰もが思っている今の須佐です。

 

いろいろな変化

保育園は、旧奈古高校須佐分校の地に移ることは決まったそうですが、

校舎改築か新築かは、まだまだ、未定だそうです。

 

 

仮設住宅も同じく、旧奈古高校須佐分校跡地に出来ました。

ようやく落ち着けたという入居者の言葉も聞き、期限付きとはいえ、安心しました。

 

冠水した中津地区にあった「松原医院」は、公民館での仮の診療もやめられ、

9月いっぱいで廃業されました。

代わりに弥富診療所の中山先生が、元須佐診療所にて掛け持ちで診療をされることになりました。

 

萩市災害復興局が須佐総合事務所内に設置され夜遅くまで作業されております。

http://www.city.hagi.lg.jp/soshiki/detail.html?lif_id=35859

義援金の配布などもスタートし、難しい基準ではありますが、被災者に配布されています。

 

 

先月末には、須佐の保育園・小学校・中学校の合同での運動会がありました。

運動場も使えず、十分な練習も出来ない中、出番も少なくなりましたが、元気いっぱいの運動会でした。

 

 

最近になって、ようやく畳を入れられる家屋もあります。

浸水した家屋一切を壊した家もあります。

建て替え、新築、まだまだ、悩まれているかたも多いです。

土砂崩れなど、河川とは関係なく、被害にあった所も多く、

山肌を背にした家などたくさんありますので、

お金をかけて対策スべきか、 家から離れるか、など、思いは様々です。

 

先日も、NHKで、取り上げられた須佐湾の状態など、

先行きが見えないことも多いのです。

 

この2ヶ月半あまりの中で、たくさんの変化がありました。

復興10年計画を聞いて、もちろん、須佐の風景が変わります。

思い出の場所が、なくなります。

https://www.google.co.jp/maps/preview?ie=UTF-8&hl=ja#!data=!1m8!1m3!1d3!2d131.60158!3d34.617499!2m2!1f319.65!2f79.05!4f75!2m7!1e1!2m2!1sEqi-XNQAlG1nWBQ0A0IWLg!2e0!5m2!1sEqi-XNQAlG1nWBQ0A0IWLg!2e0&fid=5  

行政対応の中で、どさくさ紛れに定年間際の恣意的な動きに勤しんでいる方もいます。

言いたくなることもあります。

 

 

ただですね、 もう、みんな次のことを考えているんですね。

目の前の生活と仕事だってあります。

来年も再来年も、10年後だって、須佐はあり続けますし、

いい町でありたいんです。

 

 失ったものは様々ありますが、

それによって気付かされたことは、途方もなく大きくあります。

ここまでの状況だからこそ、今まで、やらなくてもいいと避けてたことを、始めるきっかけになることもあります。

今まで、会話さえしたこともなかった、近所の方と、復興中の助け合いで普通に交流するようになったり、

仕事上、脆弱な体質を発見することだって、色んな事業者が感じたことでしょう。

新たな取組みを始めざるをえない状況は、新たな勉強や努力が必要です。

自分を可哀想がっていたら、とてもそんな一歩を踏み出せません。

 

10年も経てば、たとえ被災がなかったとしても、

須佐の状況はドラスティックに変わっています。

たとえ河川は立派になったとしても、

子供もいない。若者もいない。後継者もいない。事業者がいない。仕事が無い。。。。

って理由とは関係ありません。

 

  「何かをしなければ!」

 

そんな渇望を共有できるのは、今、被災をした須佐や田万川、弥富や小川だからこそできることだと思います。

なかなか、超高齢化過疎地としては、ハンデの多い地ですが、

今が、チャンスとさえ思う今日このごろです。

 

梅乃葉的にも、挑戦は続いています。

やれることをコツコツと積み重ねながら、

将来への投資を進めています。  

 

 

これからです!

 

イカロボメッセージ        

きただにひろし復興ライブ@須佐 UST「ちょっとだけ」配信!/明日10月8日18:30START

萩ウォーカー管理人ブログより転載

きただにひろしさんの復興ライブの

Ustreamライブ配信「ちょっとだけ配信です。」

目的は、広く、今回の7月28日の集中豪雨被害からの復興を、

ライブを通して周知し、 義援金を含めた様々な御支援を呼びかけるもので、

当初より、ソリッドボックス事務所様より、ライブ配信についてOKを頂いております。

 

【注意】きただにさんの曲で配信できるのは、基本、タイアップのないオリジナル曲のみの限定配信となりますので、

※「須佐男命いかの唄」他、オリジナルアルバムより2曲の、全3曲のみです。

きただにさんのトーク&MC&特別出演の2-EIGHTの曲は配信いたします。

 

配信するUstreamチャンネルはこちらです。

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きただにひろし復興ライブ@須佐 Ustream配信チャンネル

10/8 18:30 START
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須佐文化センター。

本当は、可動式のイスで、傾斜のあるゆったりとした椅子席なのですが、

7/28の災害で壊れておりまして、

この度は、パイプ椅子です。

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そして、日中は、小中学校に慰問の予定ですが、

台風の影響で、中止するかもしれません。

又、ライブも、暴風雨の中、何人の方が来られるかわかりませんが、

小人数であっても、もちろん、やりますけどね。

 

でもって、次の日、きただにさん、帰れるのかな????

まあ、晴れ男パワーに期待しましょう!

 

 

 

 

少しでも、被災した人達に、元気を!

 

萩市生活応援センターと災害復興局設置と その先と。。。

萩市生活応援センター9月1日の設置

http://www.city.hagi.lg.jp/soshiki/detail.html?lif_id=35741

 

萩市が災害復興局 9月中旬にも新設 3事業部で構成

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/yamaguchi/news/20130828-OYT8T01483.htm

都市基盤復興、産業再生、生活再建支援の3つの柱

7月28日の豪雨で甚大な被害が出た萩市は9月中旬にも、被災地の支援や復旧に取り組む「災害復興局」を新設することを決めた。他の事業を見直して財源を確保。最低3年間、全職員の10%以上を復興業務に特化させる。市は「一刻も早い復興へ全力を尽くす」としている。(橋谷信吾)

9月4日開会の定例会に市組織条例の改正案を提出する。市によると、災害復興局は、死者が出るなど被害が集中した地域に近い須佐総合事務所に設置。萩市役所から被災した地域まで車で片道約1時間かかるため、移動時間の短縮につながる。

復興局は、都市基盤復興、産業再生、生活再建支援の3事業部で構成。局長(部長級職員)を含む31人の専従職員のほか、大きな被害が出た須佐、田万川(たまがわ)、むつみ3地区の総合事務所の職員計48人も同局の業務を兼務することで、全職員(消防など除く)の約12%の人員を割く。

同局職員は、被災者生活再建支援法に基づく県や国の支援金や市独自の家屋復旧の補助金について、被災者への周知を徹底し、仲介業務などを行う。  ・・・・(読売新聞

ということだそうで、復興への体制を形を変えながら、整えているそうです。

 

体制・システムでは変わらぬ事情。。。

 

色々な情報が錯綜しています。

いい意味悪い意味でも、情報を公に出せないまま、

一部住民に話が進められていることもあります。

 

そんな中で、「こうして欲しい」「こう出来ないのか?」といった意見・陳情があります。

おそらく、声は拾われるでしょうけど、

状況・背景・事情を知らされずに出た意見など、

結局は、感情論に過ぎず、汲むべき声となるのか?・・・そりゃ、わかりません。

 

情報の共有」ということに関して、

行政という機関が、

そのプラス効果(目標・課題・ベクトルの共有など)の部分を取り入れることより、

情報を出すこと、共有することを、恐れ、消極的になり、

マイナスの面、要は、「反論」・「停滞」を避けることが日常的になっていると、

被災する前から(特に、地域振興・観光振興の場において・・・まあ、そこしか関わることがないんで)、感じていました。

 

いつしか、そうしなくていいことが当たり前になっていたり、

それ以外の選択肢は不可能とさえ思い込んでいるかのような風潮もありました。

 

で、この度の災害を受け、直後からの復旧時、

「情報提供・共有」がいかに、低い位置にあるか、痛烈にわかった気がします。

(これは住民に対してだけでなく、職員間やボラセン等との横の関係にも感じました。)

 

萩市防災安全課の情報発信に関して、

現在、又、災害前の情報発信力は、大変素晴らしいと思います。

ですが、災害直後、一旦、この動きが停滞した期間がありました。

なぜでしょう?

詳細はさておき、

原因は、結局、「情報発信・共有」の意識の低さではないかという指摘もあります。

 

結局 人

 

当然、災害対応・復旧は安否に関わること、ライフラインの復旧が優先されるのはわかりますが、

いきなり、そういう重要視していないことを嘆願しても、

「??」・・・どうにもならないという印象です。

 

逆に言い換えれば、

普段から、住民との距離感や

自治や市政への双方向の反映のシステムによって、

関わる人の情報への意識が違っていたのなら、

この度のような想定を超える災害時でも、きっと、それは活きてたのだろうなということです。

 

「では、どうすればいいって?」

住民と行政の双方向の意思の共有・反映のさせ方として、

最近、Facebookでシェアされていた事例ですが、

・ポートランドの事例

北浦WEB田村さん)・・・・・

なぜ、ポートランドは先進的な行政として注目を浴びているのか?

市長がいて、議員がいて、議会があり、その下に委員会があり、委員会ではステークホルダーが利害関係を持ち寄り話し合う。

システム的には日本とほぼ同じだけど、結果が違うとのこと。

市民との距離感が近いという表現をしていたが、民意が反映されるものだという感覚、民意を反映させるべきだという感覚が相対的にあるのだろう。

ステークホルダーとその下にいる人たちで共通理解・共通認識を密に行っている。シェアすることを重要視している。

ステークホルダーは自らの意思でというより、その団体で納得いくまで議論し、その団体の皆の腑に落ちる話を委員会に持ち寄る。

違うところでいえば、ステークホルダーのスキルだと…。

ステークホルダーはステークホルダーでやっていくスキルを持っているし、そのスキルを養うカリキュラムが存在するとのことだ。

役職になったからそのスキルを持っているという感覚ではなく、役職になったからこそ身につけなければならないスキルがあるという感覚。

確かに、そこは日本のステークホルダーとは違うなと感じる。

日本のステークホルダーは「自分の意見を通せる位置にある」という認識の方が大きいかな…。

だから、ステークホルダーになった時点でちょっとしたゴールになっている。

対してポートランドのステークホルダーはステークホルダーになった時点で新たな学びのスタートが始まる。

・・・・・

 

市民参加の精神を学んだ米国オレゴン州ポートランド視察

基礎自治体のない地域だからこその”自治”/ポートランド報告②「非法人化地域で見えたもの」

  

・三重県松阪市の事例

自らを「永遠の偽善者」と呼ぶ若手首長は、
なぜ住民のために生きることを決意したのか
――山中光茂・松阪市長インタビュー

元歌舞伎町のすご腕スカウトが挑む新しい行政
33歳で初当選、異能の市長が地方を変える(上)

 

できるできないは別として、

不可能と言い切るほど、住民の声を反映させる方法がないというわけではないということです。

(普通は、議員がやってるから・・・で、片付けられるテーマでしょう。先ず、片手落ちでしょうけど。)

 

松阪市の事例は、市長の強烈なリーダーシップと言うより、

市長の強烈な決意・意思を感じます。

 

ポートランドの事例では、市民性などもあるかもしれませんが、

システムとして機能しているという事実は素晴らしいの一言です。

 

行政だけの課題ではない。

どちらにも言えるのは、

住民が率先して地域に関わる意思を持たなければならないし、

学んでいかねばならないこともあります。

松坂市長の言う、「役割と責任」を住民自身が持っていくことで、

こういったことも現実的な話となるのかなと思います。

 

依存社会の常識を捨てよう!

何かをしてもらって当たり前。

「行政がやってくれんにゃあ・・」という合言葉。

どこのどんな地域でもよくあることです。

 

自分たちは社会的弱者で、(そうでなくても)何もできないという思い込みと、

その裏に無意識に隠す、行動や勉強することの「面倒くささ」「格好悪さ」という本音。

 

依存していれば楽。

でも、いつまで、文句・陰口という念仏を唱え続けたら、

極楽にゆけるのか?(満足するのか?)

人をあてにして、不満を言い続けても、満足は絶対に得られません。

 

行政も住民自身も変わってゆかねばならないって、薄々わかっているのなら、

この住民全員が、何かが必要と感じている今こそ、

何かを始める良いきっかけだと思います。

 

この機運を、単に、「合併は失敗だった」とか、「誰かが悪い」という、

まったく、生産性のない愚痴にすり替えるべきではないことだけは確かです。

合併があろうがなかろうが、

この度の災害対応は、須佐町だったら、どうにかなったわけではありません。

住民の依存意識が変わっていたとは到底思えません。

 

マイナスの体験よりも、今回受けたプラスの体験を次に進化させるべきです。

無償の愛と支援をボランティアの方や周辺他市町村・縁のある市町村からも受けた「受援力」を身につけ、

住民全員に芽生えた、危機意識と防災対応への機運。

そして、お隣さんや地域の消防・自治団体・などから受けた、助け合う精神や喜び。

情報やライフライン・必要物資が、いかに、手元に届かないものなのか、不備という現実の学び。

それらを、須佐という小さいコミュニティだからこそ実現できる「何か」はきっとあると思います。

自分たち自身で「何が」できるか?

どんな「役割」を持つことができるか?

どんな「責任」を自覚してゆかねばならないのか?

それを踏まえて、復興に主体的に関わってゆきましょうよ。

 

※防災のみならず、減災という考えも必要です。防災・減災・受援力について

 

復興3年間で。。。

大きな災害事象のほうが多いので、まずは、

都市基盤復興、産業再生、生活再建支援というカテゴリーの中に、

どういったことが含まれるのかわかりませんが、

ここでも又、小さなことで、重要度の低いことは、

後回しにされる傾向はあると思います。

(ある意味当然の優先順位ではあるのですが・・・)

 

特に、文化です。

今回、郷土資料館(中津交差点)の被災復旧も、随分後回しにされていたそうです。

個人的に思いの強い公民館職員が極力早めに対応して、復旧は進みましたが、

須佐は、記録や過去の整理がもともとずさんでした。(人事がころころ変わるっていうのも原因ですが)

それによって、気がついたら、失ったものの大きさを後で知ることも多いです。

 

このたび、災害などなければ、

個人的にも進めていたものがあります。

災害当日花火大会の日にあるはずだった、

弁天祭の神事「海上渡御」の文化財としての評価の推進です。

 

今まで、文化財として評価されなかった理由は、

  • (漁師の排他的な習慣の中で)知ることができなかった。
  • (海の上だから)見ることができなかった。

というのが、主な理由です。

 

古文書の記録としても、同時期から行われていて、

船歌の世襲の歴史や特徴なども似ている山口県の無形文化財でもある萩の「お船謡」や

萩市の無形文化財の指定を受けている須佐三原の「田植えばやし」は、

その価値を評価されています。

 

この漁師が紡ぎ続ける「船歌」や「海上渡御の神事」は、

その価値ではかられることなく、記録もなく、

知られる前に、少しづつ途絶えようとしていました。

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そこで、今年は、須佐出身のヒップホップアーティスト「2-EIGHT」に協力を求め、

対外的にPRしてゆくことから始めようとしていました。

しかし、当日は、記録的・歴史的な豪雨。

 

神様を載せた船は沈みました。

 

被災したものは、ものだけではありません。

こういった文化の継承には、どれだけの先人の思いが積み重なっていたでしょう。

こういったことのためにも、無形文化財の指定をなんとか取り付けようと動いていました。

指定されていれば、もちろん、文化財保護としても対応は速やかに進んだでしょう。

しかし、今は、後回し状態です。いや、復旧リストにすら上がっていないかも?

 

文化より、生活に密着した事のほうが復旧は重要という意見は、正論でしょう。

しかし、いつ、誰が、このことを考えてくれるのでしょうか?

郷土資料館の復旧は?益田家墓所下の土砂崩れは?育英館の流された門は?

須佐で災害で亡くなったのは、郷土史研究の重鎮でした。

誰が、郷土の歴史を紡いでゆくのでしょう?

そんなこと生活には密着していません。

 

それこそ、誰かに依存していても、話になりません。

自分にできることをやっていこうと思います。

 

願わくば、この度の復興局が万能であるかのうように思うことは、

やめましょう。

結局、自分たちの「役割」と「責任」を意識しながら、

3年先、10年先のその先を見据え、

自身に何ができるかを考えていきましょう。