娘
3歳の娘を昨日の夕方、お隣の益田市の日赤の救急に運んだ。
娘との時間
娘2人と夕方近所で遊んでいた。お盆前から仕事ばかりで遊んでやれなかったので、「遊ぼう?」って聞いてきた時、山のように仕事は抱えていたけど、すぐに遊ぶことにした。他愛もない隠れんぼに2人ともおおはしゃぎで、楽しいひと時だった。
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3歳の娘を抱えながら走っている時、ちょっと高い足場の悪い所でつまづいてこけた瞬間、娘はそのまま放り出されるように下のアスファルトに頭から落ちた。階段でいうと2・3段目くらいの高さから何の受身もなく直接だった。
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あわてて抱きかかえようと近づいた時に泣き始めた。
自分は必死にうった場所を探す。「血は出ていないのか・・・・・」「ひどいことになっていないのか・・・・・」
必死に抱きかかえながら、声をかける。「大丈夫!、大丈夫だよ!」
上の娘が、「血がある!」と指を刺すと、アスファルトの上に血痕があった。「まずい・・・」
娘の頭や体を触って探すけど見つからない。「どこだ?」
上の娘が、「お父さんから血がでとる!」って見ると、ジーンズの上からもわかるくらい血が出ていた。・・・・が、そんなことはどうでも良かった。今は娘が血が出ていないかどうかだった。
救急へ
触っていると頭に大きなコブが出来てた。
以前、上の子が頭を打った時、「たんこぶが出来てなければ大丈夫」というのは、何の根拠もない迷信だと病院できいていたので、「まずい・・・・病院で見てもらおう」と思い、嫁さんに伝え車で来てもらった。救急車を呼んで連れて行くより早いと思ったからだった。
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車中、娘を自分が抱えたまま声をかけ続けた。その頃には娘は泣き止んでいたが、その代わり顔が青ざめてた。
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「お父さんが見える?お姉ちゃんが見える?」何か聞くと、うなづいてくれるけど、声を出してくれない。
そのうち眠そうに目をつむろうとするので、それはまずいと思い、必死で声をかけたり、みんなで娘の好きな唄を歌ってあげる。ゆっくり反応してくれるが眠たそうに目を閉じようとする。顔も冷たい。
腕の中で目を閉じようとする姿は、ただひたすら「ちょっと待て!とにかく待ってくれ!」だった。最悪の悪夢さえよぎる。血も出ていないし、痛がっていない、目も見えて、反応してくれる。大丈夫と思いたいが、素人判断で楽観したくない。
病院までの30分弱の距離がとにかく長く感じる。前方の安全運転している車に腹が立つ。交差点全てに嫌われ「赤」が続く。。。。なんなんだ!
そうこうしているうちに、病院に近づいてきた頃には、娘も体を動かして目を開けるようになって少しホッとした。
病院にて
救急の当番医は内科の先生ということだったが、はなから対応は楽観的で、「大丈夫でしょう」とほぼ触診のみで終わった。
嘔吐・痙攣・痛みが続いて泣き叫び続けるといったこともなかったし、血も出ていない。コブの程度も割りと小さめですんでいるため、とりあえず様子をみてからということだった。
診察が終わる頃には娘もしゃべりだし、眠たそうだったけど、目の前のミスドで食欲がでたみたいだったので、食べることにした。
脱力と共に。。。。
良かった。とにかく良かった。それだけだった。見る人が見たらそんなの「たいしたことない」って判断したことかもしれないが、あの場にいて、自分の手から放り出された娘がアスファルトに頭を打ちつけるのを見て、「大丈夫」なんて根拠は自分には見つけられなかった。
気の高まりが徐々に落ち着いてくると、自分が怪我したであろう足の血が出ているところが痛み始めた。まくってみると、傷口がえぐれて生々しい血だまりが見えるが、激痛でもないし、帰ってから処置したが、見れば見るほど、深そうなので、朝になったら病院に行くことにした。もし、これが娘のことがなかったら、それなりの痛みと共に大怪我だったんだろうなと思う。
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色々なことを考えさせられた。娘が道中目をつむろうとする瞬間なんて、今までの思い出が走馬灯のように巡ろうとするけど、ホント短いんですよね。わずか3年しか生きていない娘、それなのに仕事にかまけて、なかなか遊んでやれなかった自分。もっと抱きたいのに、ここで終わんなよ!て。
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「抱っこ!」ってせがむのも、今の小さいうちだけ。一番かわいいこの時に、娘達との時間をもっと考えようと嫌でも考えさせられた。
仕事も鬼のように増えている。田舎の小さな料理屋にとってはありがたい話だが、それをこなし、乗り越えていくのも、自分自身の覚悟の問題だと思う。
もっと、うまく仕事をこなす方法、もっとお客様が喜んでくれる方法。もっと家族や従業員が喜べる仕事のあり方は、きっとあると思っている。大切なものを見失わないために。
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娘に
無事でいてくれてありがとう。一生忘れることのない日でした。