私事で恐縮ですが、8月6日未明、父が永眠いたしました。
元気だった父が急に体調を崩したわけではなく、定期的なメンテナンスのような簡易手術の予定で、誰もが安心していた矢先のことでした。ところが、予期せぬ感染症の影響で、不本意な入院を余儀なくされることになり、「帰りたいのに帰れない」——そんなもどかしい時間が続きました。
加えて、まだ判断がつかない段階で、治療に関する同意書(後で文句を言わせないためでしょうけど)の提出を迫られたり、終末医療を前提とした説明と選択を執拗に受けたりと、現代医療の在り方に対して、本人も私たちも、少なからずやるせなさを感じました。
それでも一転して、症状が落ち着いたタイミングで、医師や看護師に懇願し、特例的な対応で「3時間だけの一時帰宅」が叶いました。
信仰心の深かった父にとって、「やり残したこと」とは、家に戻って神棚に手を合わせることでした。そして教会を訪れ、親しかった方に車中からでも挨拶ができたことが、父の心にある程度の平穏をもたらしてくれたのだと思います。
帰宅から約1日後、父は静かに息を引き取りました。
その直前の晩には、家族が集まり、昔話を笑いながら話すひとときを持てました。父も自分の思いをぽつりぽつりと語り、最期には、付き添っていた妹に「もう最後じゃな」と言葉を残し、その顔は穏やかでした。
痛みもなく、意識もはっきりとしたまま、周囲への気遣いを忘れずに逝った父。心残りはあったはずですが、それでも「大往生だった」と思わせてくれる最期でした。
入院の付き添いや見舞いを通じて、これほど長く父と会話をしたのは、人生で初めてだったかもしれません。口数の少ない父の言葉を、勝手に解釈していたことにも気づきました。繰り返し語るひとことひとことに、今になって深い意味を感じます。最後の時間は、私にとっても家族にとっても、大きなきっかけを与えてくれたように思います。
父は、萩市田万川の地で生まれ育ち、家業を継いだ後、須佐へ移転。 そして昭和63年には、今の場所に「梅乃葉」を移転オープンさせました。

身内を中心に懸命に働き、現在の梅乃葉の礎を築いてくれました。
私が事業を継いでからは、活イカ・活ウニ・様々な海の幸に取り組み、商品開発や様々な事業への挑戦を続けてきましたが、そのすべての背景に、父の理解と応援がありました。表に出ることはなくとも、私の挑戦を陰で支え、見守ってくれていたことに、今、あらためて気づかされています。
その「見守ってくれる安心感」があったからこそ、私は自由に進み、挑戦することができました。
父は、私にとって、梅乃葉にとって、大きな支柱でした。
感謝の気持ちは尽きません。
そして、これからも父の思いを胸に、家族やスタッフとともに、そしてお客様に喜んでいただけるような商売を続けていきたいと思います。
お盆を迎え、梅乃葉は1年で最も忙しい時期に入ります。 父の遺志でもあった「商売を止めないこと」を忘れずに、 これからも努めてまいります。
どうか今後とも、変わらぬご支援を賜りますよう、心よりお願い申し上げます。
店主
