幕末史上最大の奇跡!
面白かったですね~。
個人的に一番見たいくだりでしたので、このあたりは、注目しています。
Posted by NHK 大河ドラマ「花燃ゆ」 on 2015年8月9日
普通に、知らなかったんですよ。
なぜ、長州藩が、真逆の状況から倒幕に進むことになったのか。
高杉が挙兵してうんぬん・・・てのはわかってますが、
朝敵とまでなっていた長州藩が、まさに、大逆転してゆく背景と経緯・登場人物に、
興味があったんですね。
なんか、ダイジェスト版まんが日本史でも見ているかのように、
楽しく花燃ゆを見ています(笑)。
しかし!!
先週の放送ではショック!!
まったく、登場する機会を得なかった「益田公」。。。
ナレーターの池田さんが、オープニングで、
椋梨は「禁門の変」の責を三家老の切腹で恭順の意を表した。。。
てな、ナレーションを。。。。
あれ!?
今ので、益田公の登場は終わり?
最後まで、名前もでなかったし。。。。
先ず「益田公」と言っても、一般的には知名度は全く無いですから、
そもそも、今まで花燃ゆに取り上げられていないのは、残念でしたが、
これが留めかと思うと、無性に残念です。
益田親施(ますだちかのぶ):益田家三十三代
この幕末期の特に、久坂玄瑞が、下関にて外国船を攻撃するあたりまでの数年間、
毛利家家老の中でも、藩政最高位についており(椋梨なぞよりも、もちろん偉い)、
藩主敬親公の信頼も厚く、その後の長州激動の中、常に渦中にいた方です。
そもそも、面白いのは、松下村塾の塾生でもあるところです。(松陰より三歳年下。)
吉田松陰に学び、須佐の地に松下村塾の姉妹校「育英館」を創設、
吉田松陰も信頼していたようで、松陰からの多くの手紙が残っていたり、
育英館・松下村塾の間で、優秀な人材の塾生交換なども行われていました。
松陰が認めていた毛利家老中第一流の人材
松陰が藩政の内部の方(参議)に送った書簡の中に、益田公を推称しているくだりがあります。
「・・・・益田は行年二六・七歳、英気活発の人物にて、当時家老中第一流の人材に御座候。私門人に付幽因中にても兼て志を通じ居り候事に付き、勤王の一義に於いては常に其の志を同じ候儀に御座候・・・」
周布政之助は、益田公の部下にあたり、切っても切れない仲と言われています。
もともと、周布家は益田家の一族でもあって、
花燃ゆで、周布が活躍している時には、その裏には、益田親施が必ずいます。
周布が松下村塾の塾生らを応援する演出が多くありますが、それらの指示や思想自体、
益田公の思いであって、そこに、益田公が登場していないのは、須佐住民としては残念です。
「萩の土塀は”苆”(須佐)で持つ」
こういう言葉があるんです。
萩の防衛を支えているのは、土塀作りの素材”苆”(スサ)とかけて「須佐」であると。
言い換えれば、
北の防衛を担う「須佐という地域」全体という見方もできますし、
永代家老を勤め続けた「益田家」を指してるとも言えますが、
昔は、地名で人物を指して表現したように
そこを収める君主である益田公個人、
もっと極端に言えば、益田親施公を指していたかもしれません。(←まあ、それは言い過ぎかもしれませんが案外。。。)
タイミングを逃したのか!? 学ぶ機会を与えられたのか?
ドラマの脚本自体は、脚色されたものですが、
ドラマ化にあたって関係者の方が取材をされる時、
毛利家の歴史(幕末期)の中に、松陰、藩主、周布、久坂、桂らなどから、信頼を置かれていたこれだけの人物がいたということを、
伝えることが誰もできなかったことや、表にそういった話(文献)が出ていなかったことが、悔やまれます。
残念!
私個人は、もともと、幕末には興味がなかったのですが、地元の殿様は別です。
益田公が、須佐の地でしてくれたこと。その礎が、今の須佐を作ったわけですから、
そのルーツは、大変興味がありました。
花燃ゆには、登場しませんでしたが、
又、郷土史の文献を開く機会を得たことに、
大河ドラマの面白さを実感しています。
又、来週も楽しみです!