復興計画と町の変化いろいろ。。。
須佐や田万川地区で被害の大きかった河川流域ですが、
10年計画で、川幅の拡張、橋梁の架け替え、
川底の掘り返し等が行われるそうです。
そこまでしてくれる(そこまでできる)のは、
国が復興に予算を組んで頂けたからですが、
それが、10年後まできっちり履行されるかどうかは、ともかく、
壮大な目標な分、きっちりした計画が当然要求されますし、
一気に事が進むわけではないことは、住民もわかっています。
しかし、 土嚢でとりあえず防いでいる護岸や道路の崩落現場なども、
この計画履行待ち状態で、災害後のままです。
今来ている台風のような、ちょっとした豪雨は、
実際の身の危険を感じている家屋や集落もあるので、
早く、進まないものかと思う気持ちを、誰もが思っている今の須佐です。
いろいろな変化
保育園は、旧奈古高校須佐分校の地に移ることは決まったそうですが、
校舎改築か新築かは、まだまだ、未定だそうです。
仮設住宅も同じく、旧奈古高校須佐分校跡地に出来ました。
ようやく落ち着けたという入居者の言葉も聞き、期限付きとはいえ、安心しました。
冠水した中津地区にあった「松原医院」は、公民館での仮の診療もやめられ、
9月いっぱいで廃業されました。
代わりに弥富診療所の中山先生が、元須佐診療所にて掛け持ちで診療をされることになりました。
萩市災害復興局が須佐総合事務所内に設置され夜遅くまで作業されております。
http://www.city.hagi.lg.jp/soshiki/detail.html?lif_id=35859
義援金の配布などもスタートし、難しい基準ではありますが、被災者に配布されています。
先月末には、須佐の保育園・小学校・中学校の合同での運動会がありました。
運動場も使えず、十分な練習も出来ない中、出番も少なくなりましたが、元気いっぱいの運動会でした。
最近になって、ようやく畳を入れられる家屋もあります。
浸水した家屋一切を壊した家もあります。
建て替え、新築、まだまだ、悩まれているかたも多いです。
土砂崩れなど、河川とは関係なく、被害にあった所も多く、
山肌を背にした家などたくさんありますので、
お金をかけて対策スべきか、 家から離れるか、など、思いは様々です。
先日も、NHKで、取り上げられた須佐湾の状態など、
先行きが見えないことも多いのです。
この2ヶ月半あまりの中で、たくさんの変化がありました。
復興10年計画を聞いて、もちろん、須佐の風景が変わります。
思い出の場所が、なくなります。
行政対応の中で、どさくさ紛れに定年間際の恣意的な動きに勤しんでいる方もいます。
言いたくなることもあります。
ただですね、 もう、みんな次のことを考えているんですね。
目の前の生活と仕事だってあります。
来年も再来年も、10年後だって、須佐はあり続けますし、
いい町でありたいんです。
失ったものは様々ありますが、
それによって気付かされたことは、途方もなく大きくあります。
ここまでの状況だからこそ、今まで、やらなくてもいいと避けてたことを、始めるきっかけになることもあります。
今まで、会話さえしたこともなかった、近所の方と、復興中の助け合いで普通に交流するようになったり、
仕事上、脆弱な体質を発見することだって、色んな事業者が感じたことでしょう。
新たな取組みを始めざるをえない状況は、新たな勉強や努力が必要です。
自分を可哀想がっていたら、とてもそんな一歩を踏み出せません。
10年も経てば、たとえ被災がなかったとしても、
須佐の状況はドラスティックに変わっています。
たとえ河川は立派になったとしても、
子供もいない。若者もいない。後継者もいない。事業者がいない。仕事が無い。。。。
って理由とは関係ありません。
「何かをしなければ!」
そんな渇望を共有できるのは、今、被災をした須佐や田万川、弥富や小川だからこそできることだと思います。
なかなか、超高齢化過疎地としては、ハンデの多い地ですが、
今が、チャンスとさえ思う今日このごろです。
梅乃葉的にも、挑戦は続いています。
やれることをコツコツと積み重ねながら、
将来への投資を進めています。
これからです!