我に返り、復旧の遅れに苛立ち始める住民
被災直後は、何も考えられません。
失ったものが大きい方は特にそうでしょう。
今後どころか、今が、大変なのですから。
落ち着いてきて、少しづつ復旧が目に見えてきた時、
我に返るように、先々の不安が襲ってきます。
復旧の遅れや支援情報のなさ、
忘れられてないか!?という不安。
正に、今です。
今日明日は、多くのボランティアが来られる予定です。
でもそれは、物質的な復旧作業への支援であって、
今後の不安を埋めてくれるものではありません。
行政には、これから正に、支援情報・今後の対応を求められてきます。
そんな時に、タイミング悪く、萩は夏まつり期間中です。
職員も追われます。市民も事業者もこの祭りを楽しみにしていました。
災害とこういった派手なことを両方やってると、
被災住民どころか、周りからも、復旧にそんな本気ではない印象を持たれてしまっても仕方がありません。
難しい判断だったとも思います。
しかし、今日
道の駅ゆとりぱーくたまがわ夏祭りが開催されます。
http://www5.ocn.ne.jp/~eki-tama/natumaturi2013.pdf
ゆとりぱーくたまがわでは、被災地である田万川・小川地区の野菜や果物もたくさん売っています。
それは、少しでも、経済活動を止めるべきではないという判断もあったかと思います。
被災した方に、少しでも、気の休まる笑顔が出るための祭りを開催。
難しい判断だったかもしれませんが、そう開催の意義を告知されたそうです。
萩の夏祭りは、そういう一言を各々が考えて、発信すべきでしたね。(もちろんそうされてる方もおられました)
私たちは、風評被害にあっていますけど、大丈夫です。どうぞ来て下さい。。。。。
って、まるで、自分が被災者ですよね。言葉を考えましょうよ。
私は、こんな時だからこそ経済活動を止めるべきでないと思っています。
被災地が復旧した時に、萩がこけているべきでないと思っています。
と同時に、被災地への復旧は、通常以上の意識を傾けなければならないと思います。
そんな緊急事態なのですから、超法規的措置というような通常ではありえない対応をしてでも、
復旧に目を向けた体制を取って欲しいと思います。
でなければ、祭りをただ平時と同じように楽しんでいるとしか見られません。
考えましょうよ。各々で。
「お前の痛みは俺のもの、俺の痛みも俺のもの。」
「お前の物は俺の物。俺の物も俺の物」ってジャイアンの名言があります。
あれはいじめっ子の言葉じゃなくて、
実は、のび太が小学校の入学式のときになくした物を、
ジャイアンが一緒に探してくれた時の言葉
「お前の痛みは俺のもの、俺の痛みも俺のもの。」
という意味が込められているという解釈があるそうです。
萩市との広域合併後、過疎債や予算・人材まで搾取されてきたという穿った見方がある中、
市長の強いリーダーシップで、新しい萩市は進んできましたが、
周辺部はその渦中にいましたから、順応してゆくように「変化」を受け止めてきました。
こういう流れの中で、「変化」を積極的に感じることのない立ち位置にいる人達がいます。
旧萩市内の年配層です。(もちろん、この層にいながらも、柔軟・聡明に立ち居振る舞う方もいます。)
古き良き萩市の隆盛にしがみつき、経済は落ち込んでも、プライドと上から目線は変わっていない方々です。
で、この方々、萩市内の若者にとっても足かせになっていることに気づいていません。
そして、この層は、民間だけでなく、市役所内にも同じようにいると聞きます。
ごっそり退職してくれれば萩市は変われる!という意見もあるくらいです。
「周辺部の物は萩市の物。萩市の物も萩市の物」
を
「周辺部の痛みは萩市の痛み」
と真のジャイアニズムに進化させ「お互い様の精神」を
新たな世代と、聡明な萩の方に期待したいです。