広島料理修行
私が広島で料理修行を始めたのが、広島の宮島にある旅館でした。
ちょうど、旅館としては新しい試みで、和食だけでなく洋食・中華の献立や、真空調理方など最新機器を取り入れたい意向(←結果的には経営上失敗でしたが)もあって、
板場の人事は刷新され、ほぼ全員(色んなキャリアの職人)が新人として入社したというタイミングでした。
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自分も料理修行としては、26歳で、遅いタイミングでしたし、東京で営業会社を経て起業したりと遠回りをしていましたので、
和食の業界の中にある一部のくっだらない習慣(総上がりや理不尽な上下関係、博打・風俗好き文化など)が許容できないと思っていましたから、
今にして思えば、そんなリニューアル状態だった旅館が修行のスタートには丁度良かったとしみじみ思います。
そこに入社日が同じタイミングで、朝から一緒に寮から出社した同僚が、中華料理のコウさんでした。
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コウさん
その旅館にいる間、コウさんから中華料理の技法や考えを学びました。
コウさんの料理は美味しく、味付けも親しみやすいもので、
既に、ご自分なりの料理哲学を持っていることは、当時、素人の自分でさえもよくわかりました。
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ご自身も、旅館では新しい和食洋食の技法を積極的に学び、
年下である料理長(何人も変わられましたが)にも従順で、
いつも笑顔でよく働く人でした。
その人柄の良さは、辞めていった皆が今でも「コウさん」を訪ねていくことでわかります。
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旅館を辞め、自分のお店を持たれたのが14年前、
広島市安佐北区あさひが丘3丁目にある「宝来」がその店です。
街場の小さな中華屋さんで、地元の方に親しまれながら14年、
この4月で閉店すると聞いて、駆けつけて行ったのです。
広島市内の飲食店や飲み屋さんは不景気の波で散々な目にあっていても、
宝来はお客さんが普段使いとして食べに行く感覚のお店で、
まったく影響もなく、ゆっくりじっくりと地域の中に存在し続けたお店。
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夫婦2人でやってきて、老後の蓄えもでき、
負担を掛け続けてきた奥様のために勇退することに決めたそうです。
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もう2度と、コウさんの料理を食べれないのも残念ですし、
今でも、中華の料理を作るときは、コウさんが教えてくれた基本やコツを中心にやっていましたので、
気がつけば、もっともっと聞きたいことあるのにと、今さらながら後悔しきりでした。
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小さな店の哲学の背景
コウさんの料理哲学というか考えは、至ってシンプル!「美味いかどうか」です。
安く、美味しく、ガッツリ食べさせたい愛情に満ち溢れています。
作っている側のカウンター越しに、しばし料理談義を交わしながら、
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コウさんが14年も立ち続けたポジションを眺め、
他のお客さんに出した料理の余りをちょっとづつ味見させてくれ(笑)、
作り方のポイントを教えてくれます。
色んなものを抱えながら、色んな夢を描き、
この小さなお店をやり続けられたコウさん。
中華鍋を振るこの姿ももう見れなくなるのかと、
過ぎてゆく時間が切なくて、まだまだ、教えを請いたくて、
気がつけば、あっという間に閉店時間。
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飲食店の批評や評価などというものは、
一般的には眼に見える範囲、体験できる範囲で測れるものがほとんどですが、
自分自身、勉強のために食べ歩くとき、もう一つ知りたくなるのが、
意図や狙いがあって事業を営まれていて、
なぜそうやっているのか、
なぜそれを選んでいるのか、
といった経営者やシェフ・調理長・板さんの考えです。
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お会いして話が出来れば、会話の中から探りますが、
得てして、どんな方でも、もっと様々なやり方や、知っていることなどたくさんお持ちなわけで、
どういう考えによって、目の前の事業や料理を捉えていらしゃるのかを知りたくなります。
1つ1つのお店にそういう魅力を感じます。
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水商売という業界の中で、存在し続けれる1つの形・考え、
勉強になりました。
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コウさん、お疲れさまでした。
学んだことは一生忘れません。