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10月

10年後の須佐とは。。。

   Ecrit par : 店長:福島   in させて頂きます!, 梅乃葉, 災害, 田舎時間


復興計画と町の変化いろいろ。。。

須佐や田万川地区で被害の大きかった河川流域ですが、

10年計画で、川幅の拡張、橋梁の架け替え、

川底の掘り返し等が行われるそうです。

 

そこまでしてくれる(そこまでできる)のは、

国が復興に予算を組んで頂けたからですが、

それが、10年後まできっちり履行されるかどうかは、ともかく、

壮大な目標な分、きっちりした計画が当然要求されますし、

一気に事が進むわけではないことは、住民もわかっています。

 

しかし、 土嚢でとりあえず防いでいる護岸や道路の崩落現場なども、

この計画履行待ち状態で、災害後のままです。

 

今来ている台風のような、ちょっとした豪雨は、

実際の身の危険を感じている家屋や集落もあるので、

早く、進まないものかと思う気持ちを、誰もが思っている今の須佐です。

 

いろいろな変化

保育園は、旧奈古高校須佐分校の地に移ることは決まったそうですが、

校舎改築か新築かは、まだまだ、未定だそうです。

 

 

仮設住宅も同じく、旧奈古高校須佐分校跡地に出来ました。

ようやく落ち着けたという入居者の言葉も聞き、期限付きとはいえ、安心しました。

 

冠水した中津地区にあった「松原医院」は、公民館での仮の診療もやめられ、

9月いっぱいで廃業されました。

代わりに弥富診療所の中山先生が、元須佐診療所にて掛け持ちで診療をされることになりました。

 

萩市災害復興局が須佐総合事務所内に設置され夜遅くまで作業されております。

http://www.city.hagi.lg.jp/soshiki/detail.html?lif_id=35859

義援金の配布などもスタートし、難しい基準ではありますが、被災者に配布されています。

 

 

先月末には、須佐の保育園・小学校・中学校の合同での運動会がありました。

運動場も使えず、十分な練習も出来ない中、出番も少なくなりましたが、元気いっぱいの運動会でした。

 

 

最近になって、ようやく畳を入れられる家屋もあります。

浸水した家屋一切を壊した家もあります。

建て替え、新築、まだまだ、悩まれているかたも多いです。

土砂崩れなど、河川とは関係なく、被害にあった所も多く、

山肌を背にした家などたくさんありますので、

お金をかけて対策スべきか、 家から離れるか、など、思いは様々です。

 

先日も、NHKで、取り上げられた須佐湾の状態など、

先行きが見えないことも多いのです。

 

この2ヶ月半あまりの中で、たくさんの変化がありました。

復興10年計画を聞いて、もちろん、須佐の風景が変わります。

思い出の場所が、なくなります。

https://www.google.co.jp/maps/preview?ie=UTF-8&hl=ja#!data=!1m8!1m3!1d3!2d131.60158!3d34.617499!2m2!1f319.65!2f79.05!4f75!2m7!1e1!2m2!1sEqi-XNQAlG1nWBQ0A0IWLg!2e0!5m2!1sEqi-XNQAlG1nWBQ0A0IWLg!2e0&fid=5  

行政対応の中で、どさくさ紛れに定年間際の恣意的な動きに勤しんでいる方もいます。

言いたくなることもあります。

 

 

ただですね、 もう、みんな次のことを考えているんですね。

目の前の生活と仕事だってあります。

来年も再来年も、10年後だって、須佐はあり続けますし、

いい町でありたいんです。

 

 失ったものは様々ありますが、

それによって気付かされたことは、途方もなく大きくあります。

ここまでの状況だからこそ、今まで、やらなくてもいいと避けてたことを、始めるきっかけになることもあります。

今まで、会話さえしたこともなかった、近所の方と、復興中の助け合いで普通に交流するようになったり、

仕事上、脆弱な体質を発見することだって、色んな事業者が感じたことでしょう。

新たな取組みを始めざるをえない状況は、新たな勉強や努力が必要です。

自分を可哀想がっていたら、とてもそんな一歩を踏み出せません。

 

10年も経てば、たとえ被災がなかったとしても、

須佐の状況はドラスティックに変わっています。

たとえ河川は立派になったとしても、

子供もいない。若者もいない。後継者もいない。事業者がいない。仕事が無い。。。。

って理由とは関係ありません。

 

  「何かをしなければ!」

 

そんな渇望を共有できるのは、今、被災をした須佐や田万川、弥富や小川だからこそできることだと思います。

なかなか、超高齢化過疎地としては、ハンデの多い地ですが、

今が、チャンスとさえ思う今日このごろです。

 

梅乃葉的にも、挑戦は続いています。

やれることをコツコツと積み重ねながら、

将来への投資を進めています。  

 

 

これからです!

 

イカロボメッセージ        


萩ウォーカー管理人ブログより転載

きただにひろしさんの復興ライブの

Ustreamライブ配信「ちょっとだけ配信です。」

目的は、広く、今回の7月28日の集中豪雨被害からの復興を、

ライブを通して周知し、 義援金を含めた様々な御支援を呼びかけるもので、

当初より、ソリッドボックス事務所様より、ライブ配信についてOKを頂いております。

 

【注意】きただにさんの曲で配信できるのは、基本、タイアップのないオリジナル曲のみの限定配信となりますので、

※「須佐男命いかの唄」他、オリジナルアルバムより2曲の、全3曲のみです。

きただにさんのトーク&MC&特別出演の2-EIGHTの曲は配信いたします。

 

配信するUstreamチャンネルはこちらです。

—————————————————————

きただにひろし復興ライブ@須佐 Ustream配信チャンネル

10/8 18:30 START
—————————————————————

 

須佐文化センター。

本当は、可動式のイスで、傾斜のあるゆったりとした椅子席なのですが、

7/28の災害で壊れておりまして、

この度は、パイプ椅子です。

DSC_0054-sDSC_0058-s

 

そして、日中は、小中学校に慰問の予定ですが、

台風の影響で、中止するかもしれません。

又、ライブも、暴風雨の中、何人の方が来られるかわかりませんが、

小人数であっても、もちろん、やりますけどね。

 

でもって、次の日、きただにさん、帰れるのかな????

まあ、晴れ男パワーに期待しましょう!

 

 

 

 

少しでも、被災した人達に、元気を!

 


萩市生活応援センター9月1日の設置

http://www.city.hagi.lg.jp/soshiki/detail.html?lif_id=35741

 

萩市が災害復興局 9月中旬にも新設 3事業部で構成

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/yamaguchi/news/20130828-OYT8T01483.htm

都市基盤復興、産業再生、生活再建支援の3つの柱

7月28日の豪雨で甚大な被害が出た萩市は9月中旬にも、被災地の支援や復旧に取り組む「災害復興局」を新設することを決めた。他の事業を見直して財源を確保。最低3年間、全職員の10%以上を復興業務に特化させる。市は「一刻も早い復興へ全力を尽くす」としている。(橋谷信吾)

9月4日開会の定例会に市組織条例の改正案を提出する。市によると、災害復興局は、死者が出るなど被害が集中した地域に近い須佐総合事務所に設置。萩市役所から被災した地域まで車で片道約1時間かかるため、移動時間の短縮につながる。

復興局は、都市基盤復興、産業再生、生活再建支援の3事業部で構成。局長(部長級職員)を含む31人の専従職員のほか、大きな被害が出た須佐、田万川(たまがわ)、むつみ3地区の総合事務所の職員計48人も同局の業務を兼務することで、全職員(消防など除く)の約12%の人員を割く。

同局職員は、被災者生活再建支援法に基づく県や国の支援金や市独自の家屋復旧の補助金について、被災者への周知を徹底し、仲介業務などを行う。  ・・・・(読売新聞

ということだそうで、復興への体制を形を変えながら、整えているそうです。

 

体制・システムでは変わらぬ事情。。。

 

色々な情報が錯綜しています。

いい意味悪い意味でも、情報を公に出せないまま、

一部住民に話が進められていることもあります。

 

そんな中で、「こうして欲しい」「こう出来ないのか?」といった意見・陳情があります。

おそらく、声は拾われるでしょうけど、

状況・背景・事情を知らされずに出た意見など、

結局は、感情論に過ぎず、汲むべき声となるのか?・・・そりゃ、わかりません。

 

情報の共有」ということに関して、

行政という機関が、

そのプラス効果(目標・課題・ベクトルの共有など)の部分を取り入れることより、

情報を出すこと、共有することを、恐れ、消極的になり、

マイナスの面、要は、「反論」・「停滞」を避けることが日常的になっていると、

被災する前から(特に、地域振興・観光振興の場において・・・まあ、そこしか関わることがないんで)、感じていました。

 

いつしか、そうしなくていいことが当たり前になっていたり、

それ以外の選択肢は不可能とさえ思い込んでいるかのような風潮もありました。

 

で、この度の災害を受け、直後からの復旧時、

「情報提供・共有」がいかに、低い位置にあるか、痛烈にわかった気がします。

(これは住民に対してだけでなく、職員間やボラセン等との横の関係にも感じました。)

 

萩市防災安全課の情報発信に関して、

現在、又、災害前の情報発信力は、大変素晴らしいと思います。

ですが、災害直後、一旦、この動きが停滞した期間がありました。

なぜでしょう?

詳細はさておき、

原因は、結局、「情報発信・共有」の意識の低さではないかという指摘もあります。

 

結局 人

 

当然、災害対応・復旧は安否に関わること、ライフラインの復旧が優先されるのはわかりますが、

いきなり、そういう重要視していないことを嘆願しても、

「??」・・・どうにもならないという印象です。

 

逆に言い換えれば、

普段から、住民との距離感や

自治や市政への双方向の反映のシステムによって、

関わる人の情報への意識が違っていたのなら、

この度のような想定を超える災害時でも、きっと、それは活きてたのだろうなということです。

 

「では、どうすればいいって?」

住民と行政の双方向の意思の共有・反映のさせ方として、

最近、Facebookでシェアされていた事例ですが、

・ポートランドの事例

北浦WEB田村さん)・・・・・

なぜ、ポートランドは先進的な行政として注目を浴びているのか?

市長がいて、議員がいて、議会があり、その下に委員会があり、委員会ではステークホルダーが利害関係を持ち寄り話し合う。

システム的には日本とほぼ同じだけど、結果が違うとのこと。

市民との距離感が近いという表現をしていたが、民意が反映されるものだという感覚、民意を反映させるべきだという感覚が相対的にあるのだろう。

ステークホルダーとその下にいる人たちで共通理解・共通認識を密に行っている。シェアすることを重要視している。

ステークホルダーは自らの意思でというより、その団体で納得いくまで議論し、その団体の皆の腑に落ちる話を委員会に持ち寄る。

違うところでいえば、ステークホルダーのスキルだと…。

ステークホルダーはステークホルダーでやっていくスキルを持っているし、そのスキルを養うカリキュラムが存在するとのことだ。

役職になったからそのスキルを持っているという感覚ではなく、役職になったからこそ身につけなければならないスキルがあるという感覚。

確かに、そこは日本のステークホルダーとは違うなと感じる。

日本のステークホルダーは「自分の意見を通せる位置にある」という認識の方が大きいかな…。

だから、ステークホルダーになった時点でちょっとしたゴールになっている。

対してポートランドのステークホルダーはステークホルダーになった時点で新たな学びのスタートが始まる。

・・・・・

 

市民参加の精神を学んだ米国オレゴン州ポートランド視察

基礎自治体のない地域だからこその”自治”/ポートランド報告②「非法人化地域で見えたもの」

  

・三重県松阪市の事例

自らを「永遠の偽善者」と呼ぶ若手首長は、
なぜ住民のために生きることを決意したのか
――山中光茂・松阪市長インタビュー

元歌舞伎町のすご腕スカウトが挑む新しい行政
33歳で初当選、異能の市長が地方を変える(上)

 

できるできないは別として、

不可能と言い切るほど、住民の声を反映させる方法がないというわけではないということです。

(普通は、議員がやってるから・・・で、片付けられるテーマでしょう。先ず、片手落ちでしょうけど。)

 

松阪市の事例は、市長の強烈なリーダーシップと言うより、

市長の強烈な決意・意思を感じます。

 

ポートランドの事例では、市民性などもあるかもしれませんが、

システムとして機能しているという事実は素晴らしいの一言です。

 

行政だけの課題ではない。

どちらにも言えるのは、

住民が率先して地域に関わる意思を持たなければならないし、

学んでいかねばならないこともあります。

松坂市長の言う、「役割と責任」を住民自身が持っていくことで、

こういったことも現実的な話となるのかなと思います。

 

依存社会の常識を捨てよう!

何かをしてもらって当たり前。

「行政がやってくれんにゃあ・・」という合言葉。

どこのどんな地域でもよくあることです。

 

自分たちは社会的弱者で、(そうでなくても)何もできないという思い込みと、

その裏に無意識に隠す、行動や勉強することの「面倒くささ」「格好悪さ」という本音。

 

依存していれば楽。

でも、いつまで、文句・陰口という念仏を唱え続けたら、

極楽にゆけるのか?(満足するのか?)

人をあてにして、不満を言い続けても、満足は絶対に得られません。

 

行政も住民自身も変わってゆかねばならないって、薄々わかっているのなら、

この住民全員が、何かが必要と感じている今こそ、

何かを始める良いきっかけだと思います。

 

この機運を、単に、「合併は失敗だった」とか、「誰かが悪い」という、

まったく、生産性のない愚痴にすり替えるべきではないことだけは確かです。

合併があろうがなかろうが、

この度の災害対応は、須佐町だったら、どうにかなったわけではありません。

住民の依存意識が変わっていたとは到底思えません。

 

マイナスの体験よりも、今回受けたプラスの体験を次に進化させるべきです。

無償の愛と支援をボランティアの方や周辺他市町村・縁のある市町村からも受けた「受援力」を身につけ、

住民全員に芽生えた、危機意識と防災対応への機運。

そして、お隣さんや地域の消防・自治団体・などから受けた、助け合う精神や喜び。

情報やライフライン・必要物資が、いかに、手元に届かないものなのか、不備という現実の学び。

それらを、須佐という小さいコミュニティだからこそ実現できる「何か」はきっとあると思います。

自分たち自身で「何が」できるか?

どんな「役割」を持つことができるか?

どんな「責任」を自覚してゆかねばならないのか?

それを踏まえて、復興に主体的に関わってゆきましょうよ。

 

※防災のみならず、減災という考えも必要です。防災・減災・受援力について

 

復興3年間で。。。

大きな災害事象のほうが多いので、まずは、

都市基盤復興、産業再生、生活再建支援というカテゴリーの中に、

どういったことが含まれるのかわかりませんが、

ここでも又、小さなことで、重要度の低いことは、

後回しにされる傾向はあると思います。

(ある意味当然の優先順位ではあるのですが・・・)

 

特に、文化です。

今回、郷土資料館(中津交差点)の被災復旧も、随分後回しにされていたそうです。

個人的に思いの強い公民館職員が極力早めに対応して、復旧は進みましたが、

須佐は、記録や過去の整理がもともとずさんでした。(人事がころころ変わるっていうのも原因ですが)

それによって、気がついたら、失ったものの大きさを後で知ることも多いです。

 

このたび、災害などなければ、

個人的にも進めていたものがあります。

災害当日花火大会の日にあるはずだった、

弁天祭の神事「海上渡御」の文化財としての評価の推進です。

 

今まで、文化財として評価されなかった理由は、

  • (漁師の排他的な習慣の中で)知ることができなかった。
  • (海の上だから)見ることができなかった。

というのが、主な理由です。

 

古文書の記録としても、同時期から行われていて、

船歌の世襲の歴史や特徴なども似ている山口県の無形文化財でもある萩の「お船謡」や

萩市の無形文化財の指定を受けている須佐三原の「田植えばやし」は、

その価値を評価されています。

 

この漁師が紡ぎ続ける「船歌」や「海上渡御の神事」は、

その価値ではかられることなく、記録もなく、

知られる前に、少しづつ途絶えようとしていました。

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そこで、今年は、須佐出身のヒップホップアーティスト「2-EIGHT」に協力を求め、

対外的にPRしてゆくことから始めようとしていました。

しかし、当日は、記録的・歴史的な豪雨。

 

神様を載せた船は沈みました。

 

被災したものは、ものだけではありません。

こういった文化の継承には、どれだけの先人の思いが積み重なっていたでしょう。

こういったことのためにも、無形文化財の指定をなんとか取り付けようと動いていました。

指定されていれば、もちろん、文化財保護としても対応は速やかに進んだでしょう。

しかし、今は、後回し状態です。いや、復旧リストにすら上がっていないかも?

 

文化より、生活に密着した事のほうが復旧は重要という意見は、正論でしょう。

しかし、いつ、誰が、このことを考えてくれるのでしょうか?

郷土資料館の復旧は?益田家墓所下の土砂崩れは?育英館の流された門は?

須佐で災害で亡くなったのは、郷土史研究の重鎮でした。

誰が、郷土の歴史を紡いでゆくのでしょう?

そんなこと生活には密着していません。

 

それこそ、誰かに依存していても、話になりません。

自分にできることをやっていこうと思います。

 

願わくば、この度の復興局が万能であるかのうように思うことは、

やめましょう。

結局、自分たちの「役割」と「責任」を意識しながら、

3年先、10年先のその先を見据え、

自身に何ができるかを考えていきましょう。

 

 


インスパイアされたプロフェッショナルの姿勢

合鴨ローストのバルサミコソース

(合鴨ローストのバルサミコソース)

 

さあ、自分も始動するぞ!

と、鼓舞する縁に恵まれました。

この必然とタイミングに感謝!

 

 

中島剛さん

中島剛オフィシャルホームページ

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YAMAHAで、ピアノを習う娘にもプロの演奏を・・という思いもあって、

8/27に行われた、

山口島根豪雨災害復興祈願

中島剛ピアノコンサート

聞きに行きました。最前列かぶりつきです。

 

思わず聞き入っていました。

奏者の集中した顔を見ながらというのは、こちらもシンクロしてしまいます。

クラッシックも素敵でしたが、

グッときたのは、オリジナル曲。

須佐の美しい自然が目に浮かぶように音色が入り込んできました。

自分的には、頭の切り替えができる、本当に良い時間を過ごせました。

感謝!

 

タイミング

復興支援のライブとしては、ちょっと早い時期とも思えるタイミングでしたが、

メッセージを送った高校生の思いに応えたい気持ちと、

ご本人のあけられるスケジュールという都合もあります。

 

タイミング以外でも、

そもそも、音楽を聴く余裕などないという方もおられるでしょう。

又、音楽を聞く習慣のない方にとっては、コンサート自体どうでもいいことかもしれません。

 

そういうことを、中島さんご本人も、事務局も十分わかった上でこの度のコンサートは行われています。

「少しの方でもいい」

「少しでも元気になれるのなら」

「少しでも、復興の疲れを癒せるのなら」

 

そんな思いは、十分に伝わってきました。

実際、まさにこれから、復興してゆこうとしているのです。

そんなタイミングで、1人でも多くの方の、気持ちのきっかけになるのなら、

今こそベストなタイミングだと私は思いました。

 

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コンサート後うちへお食事に。

事務局の方と来られました。

 

色々なお話をさせて頂きました。

真面目なお人柄というのが一層伺え、

須佐に対し、本当に気を置いてくださっていることを嬉しく思いました。

 

今まで、7回も須佐に来られているのに、

お話する機会はありませんでしたが、

演奏といい、人柄といい、気がつけば、ファンになっていました。

 

オリジナル曲「海」。よかったですね~、

自分の中では、めちゃめちゃ胸に刺さりました。

聞けば、CD化していないとのこと。(残念)

先ずは、ほかのCDから聞かさせて頂こうと思います。

 

会場に来られていた知人から聞いた話で、

ご本人に伺ったのですが、

浅倉大介さんとも親交があるということで、

何やら、演劇を通してお仕事をされたとか。

音楽業界ってジャンルを超えてつながっているもんなんですね。

 

クリエイティブな世界には、本当に純粋さ、音楽に対するハングリーさが必要だということ。

それでも、結果が出る出ないは別の話。

ジャンルを問わず、音楽業界の厳しさは、共通の話。

 

それに最近、よく耳にします。

音楽をやられている方々の純粋さは、本当に凄いと感じます。

プロであれアマチュアであれ、音楽を通して、人の心とコミュニケーションをしようとする方々

その熱い思いを聞く機会が、個人的に最近多いのは、

きっと、意味があるのだろうと、

私の中でも何か、感じるものがありました。

 

被災1ヶ月を過ぎ。。。

夏のお盆を挟んだ、この1ヶ月というもの、

お店としても大きな痛手でした。

幸いにして店舗は無事ですが、

スタッフ、仕入先(漁師・事業者)の被災のため、

十分な対応ができず、お断りした話も多く、

 

又、道路事情・雨天による通行止めは、仕出しの配達が不可能なため、お断りしたり、

団体予約のキャンセルにもつながりました。

須佐湾に堆積した土砂のために、今期の活きウニの提供は、全面滞ってしまいました。

あまちゃんの効果もあって、少しづつ人気の出てきた「活きウニ」。

もうシーズンは終わります。(普通の板ウニと違いますので)

 

小さな飲食店ですから、

正直、売り上げ的には、大打撃です。

予定していたキャッシュ・フローなどぶっ飛び、

事業計画そのものも、練り直しは当然です。

そんな状況に対応してゆかねばなりません。

 

プロの音楽家から受けた刺激もあり、

思う所もあって、水曜日の休みは、

家族サービスをついでに、

益田市のノブにランチに行ってきました。

 

Restaurant BONNE-MAMAN NOBU

思わず、ニヤけてしまったノブでのランチ。

気になった料理を2点

はんだ牛蒡のスープ・冷製

(はんだ牛蒡のスープ・冷製)

 

美味いですね~。

牛蒡のスープは個人的にも好きなんですが、

格別でした。

牛蒡はしっかり主張しています。それでいてバランスのいいスープ。

 

合鴨ローストと一緒に盛り付けられた野菜。

(合鴨ローストと一緒に盛り付けられた野菜。)

 

ノブらしいメインの肉料理です。

野菜の種類・調理法・使い方にシェフのこだわりが表れています。

 

ナス・ピーマン・とうもろこし・ソーメンウリらが生です。

ちょっとびっくり!

サラダナスってシロモノがあるそうです。

オクラ・インゲン・長芋などの絶妙な火入れ。

どれも食感が生きてて、歯ごたえの違いも楽しめる野菜の数々。。。

 

ほとんどが自家栽培。

みずみずしさが本当にそのまんま皿の上にあります。

野菜が生きていると感じる点でも、

活イカを出すうちのお店にとって刺激的です。

 

いつもながら、料理は美味しく、気持ちの良いサービスに感心・満足させられたのは言うまでもないのですが、

素材(特に野菜)の扱いと盛り付けや料理の構成にシェフの熱い思いが伝わってきます。

 

素材や料理に対する純粋さ、それに対するハングリーさ。

 

そこで受けた刺激は、中島さんと同じものでした。

思わず、そこにニヤけてしまいました。

 

料理を通して、人の心とコミュニケーションしようとしているシェフ。

私の中にあった立ち位置を再確認するには、十分な刺激でした。

ありがとうございます。

 

お土産に、はんだ牛蒡をいただきました。

思いがけず嬉しかったのですが、

これが又、インスパイアの種に。。。

 

自然栽培「はんだ牛蒡」

シェフが気に入って農家から直送で仕入れている「はんだ牛蒡」。

実は、この度の島根県の豪雨で被災の大きかった地(島根県江津市桜江)で作られているそうです。

 

ノブで教えて頂き、

帰ってから、この「はんだ牛蒡」を調べて、またしても感銘を受けました。

反田社長のブログ

自然栽培への取り組みも、相当勇気が必要だったと思いますが、

目先にとらわれず、信念に準じた取り組み方。

ブログには、ぶっちゃけて思いを綴っている生産者の本音が見られました。

 

小手先のマーケティング、農家への助成金によって姿勢そのものがブレることを良しとせず、

自らの手と責任で、工夫し切り開いていらっしゃいます。

 

特に、感心したのは、

牛蒡の特性というより、

土壌の特性を作り上げた洪水の多い土地柄において、

「洪水との共生」を一生のテーマと公言されているというところです。

 

島根県江津市桜江というところにあります。
大きな江の川沿いにある桜江は、川が運んできた肥沃な土壌が堆積されています。

・・・・

ユンボでゴボウの横を掘ったところです。
見えづらいかもしれませんが、50〜60cm掘っても地層の変化はありません。
そして見事なまでの砂壌土。
以前、反田氏が可能な限り掘り下げたけど何m掘ってもずっと同じ土だったそうです。

普通なら数十センチ掘れば赤土や固い粘土層が出て来たり、川沿いだったら石がゴロゴロ出て来たりするのもですが、こういうのは見たことがありません。
ここまで堆積されたということは並大抵の水量ではないことは想像に難くありません。

「洪水と共存」との言葉通り、毎年のように洪水被害のある土地なのです。
しかも洪水とは簡単には言えないようなスケールの大きい洪水です。
行けば驚くと思いますが川を渡る橋が非常に高く、畑に立ちながら20m以上も高い所を指差して「あの辺まで水があがりますよ」というほど。

もちろん田畑は完全に水没して水面から竹が見えるくらいという状況になると言います。
日本でそういうところがあるなんて知りませんでした。

洪水は農業経営に致命的なダメージを与えかねないけど、その洪水が上流の土や砂だけでなく山の腐植という恩恵を運んでくれたものでもあります。
その土地の自然や環境としっかりと向き合い、人と自然がともにつくりあげていく。
そういう姿勢で作物をつくるということが自然栽培の一つの姿であると思うのです。

そういう意味で、反田氏の「洪水と共存」という決意が見事に表れているのが
「はんだ牛蒡」だと思うのです。

蒜山耕藝さんのブログ より)

 

 

須佐湾の今後

この話を通して、

すぐに浮かんだのは、今回須佐で被災影響のあった「須佐湾」のことです。

土砂が堆積し、今年度の潜り漁に関しては、絶望。

サザエ・アワビ・ウニ・・など死滅するまでのことはないですが、

漁はできず、藻場も土砂をかぶっています。

環境的にも危惧はありますが、

その一方で、個人的に(現在は)不謹慎ですが、楽しみにしていることがあります。

 

今回、災害にあった須佐の地の大半の土壌は、

須佐層群と呼ばれるいわゆる土の堆積地です。

弥富地区などは田万川カルデラを生成する岩石の地です。

 

須佐川に流れ込む、上流の土砂崩れの土はほとんど赤土です。

赤土の赤は、鉄分を多く含んでいます。

その鉄成分が、一気に、海に流れ込んだのです。

海の森をつくる会の立ち上げ時は、

この鉄での藻場再生も大きなテーマでしたから、

これだけの鉄成分の海への流入だけ考えると、

めちゃくちゃ大きなカンフル剤です。

 

昔から、漁師の間では、大水の後は、豊漁になると言われています。

山間部の腐葉土に含まれる肥沃な栄養と一緒に鉄分が多く流出することで、

沿岸部の生態系が変化するからですが、

 

今回堆積した土砂は全てが栄養というわけではありません。

この度は特に、須佐湾内海を覆い尽くしています。

多少の大水とは規模が違います。

 

いつから、どの程度、海中の環境がもとに戻ってゆくかはわかりませんが、

更に、漁ができないことは、漁師には、経済的に大打撃ですが、

環境に対して、漁師達はどこか楽観的です。

感覚的に、循環し、育ってゆく自然のすごさを知っているかもしれません。

 

こういう、自然の中で共生してゆく生業。

そして、それをお客様に提供するお店の立ち位置と使命感。

 

はんだ牛蒡生産者の方の姿勢を知ることで、

より、自分とお店の立ち位置を再考するきっかけとなりました。

 

音楽家、料理人、自然栽培生産者それぞれのプロフェッショナルの姿勢に、

被災から1ヶ月たった、今このタイミングで触れたこと、必然に、

感謝!

 

事業への集中の仕方をより進化させ、

本来の使命に傾倒してゆこうと思います。

 

被災からの復興作業は、まだまだ、続きます。

台風シーズン到来によって、気も抜けません。

多大なご支援を須佐は頂いて進んでいます。

それを見守りつつ、

頑張ってゆきます!