また店長が変なこと始めました ― イカ醤油編「須佐男命いか」×「東洋美人」

イカ醤油、仕込んでます。

こんにちは、梅乃葉店長です。

うちのお店、活イカを日々さばいてると、今更ながら、不思議と「これ、まだ何か使えるんじゃないか?」って部位に出会うんですよ。
普通は、もう全部捨てちゃう部分。工場なら秒で廃棄行き。
でも、活イカ専門店って、どうしても毎日“一杯単位でまるごと扱う”から、部位ごとの状態が自然と目に入ってくるんです。

「この内蔵、酵素めちゃくちゃ活きてるな」とか、
「この皮、香りが意外にいいな」とか、
「いや、このタイミングのこの部位はクセ強すぎるからやめとこ」とか。

気づけば、仕分けしながら研究者みたいな顔になってる自分がいるわけです。
(たぶん横で見てるスタッフは「また店長がニヤついてる」と思ってるはず…笑)


捨てるはずの部位が、主役になるとき

これ、普通の加工業者さんには結構な負担なんです。
流れ作業で仕分けしてる中で「ちょっと香りのいい肝だけ残そう」とかやってられない。
でも、うちは最初から“一杯丸ごと処理”が日常だから、自然にできちゃうんですよね。

だから今回、開発を始めた「イカ醤油」には、そんな“本来捨てるパーツ”が主役で入ってます。
いわば裏方から突然センターに抜擢された子たち。
しかも「東洋美人」の酒粕まで組み合わせちゃうんだから、もう舞台がカオスです。


酒粕がまた面白い

酒粕って、ただの副産物だと思われがちだけど、発酵の相棒としては本当に優秀なんです。
乳酸菌や酵母が残ってるから、イカの内臓の消化酵素とガッチリ手を組んで、予想外の化学反応を起こす。

普通の魚醤って、あの独特な“クサみ”がどうしても出るんですよ。

ぶっちゃけて言えば、店長、一般的なイカの魚醤の味がどうしても好きになれないんです。もっと突っ込んで言うと、スルメイカやホタルイカなどにある肝のあの独特の風味が、大の苦手で、受け入れられないんですね。だから、肝で作る塩辛とかもNG。

ところが、そもそも、剣先イカには、あの独特な肝がなく(もちろん厳密には肝に相当する内臓はあるんですが)煮炊きしても、あの風味はにじみ出てこないんです。
又、酒粕を合わせることで、そんな原料由来の発酵臭が見事に中和&マスキングされて、
「ん?これ、旨味ソースじゃん」ってなる。

仕込み場でひとり味見しながら「うわ、これすごいな」と思わず独り言。
気づけば研究メモの余白に「おぉ!!!」とか書いてある。
…いや、もはやメモじゃなくて日記ですね(笑)。


醸し出す熟成した旨味の幅

当たり前なんですが、配合する部位の量やバランス・温度・期間で、味わいが変わるんですね。

ものづくりやっている人だけでなく、料理好きの方にはわかってもらえると思うけど、こういう味の化け方に出会うと、もう楽しくてしょうがないですよね。

魚醤となると塩分は強いので、その分使い方は限定されてきますが、旨味の奥行きは凄いです。今うちで使用している「海賊だし」を使ってて常に思うのは、こういう魚醤だしや旨味は、別の調味料と合わせて使うことで、旨味を強くし馴染みやすいので、日本人の嗜好にあわせた使い方としては、単体よりブレンド(補完)的使い方が最強です。

 


で、商品化は?

ここまで語っておいてなんですが――実は単品販売は予定していません。
そもそも、とある新商品のブレンド用としてスタートした開発なんです。

「ちょっと混ぜてみようか」と軽いノリで始めたら、どんどん深みにハマってしまって。
今や仕込み桶の前で、仮説と検証を繰り返す毎日。
気づいたら厨房がミニ研究所みたいになってました。

趣味と仕事の境界線? もうとっくに無いですね。
そのうち「イカ醤油同好会」とか作ってしまいそうな勢いです(笑)。


イカはまだまだ掘れる

結局のところ、言いたいのはこれです。
イカって、まだまだ奥が深い。
身だけじゃなく、普段は見向きもされない部位にまで、実は可能性が眠っている。

そして活イカ屋だからこそ、その可能性を“ピンポイントで拾い上げられる”。
これが面白くて仕方ない。

須佐の港町で、こんなふうにニヤニヤしながらイカと遊んでる人間がいる、
その事実だけでもちょっと面白いでしょ?

いつか「あ、これが例のイカ醤油か!」と気づいてもらえる日を、僕自身も楽しみにしています。

喪失と花火と温泉とウニと龍と。 ── 須佐の夏、島根の風、そしてこれから

2025年のお盆は、例年になく“濃い”時間でした。

父が亡くなったのは、お盆前のタイミング。年に一度の超繁忙期目前という中で、気持ちの整理もつかぬまま、梅乃葉は戦闘態勢に突入。そして、そんな矢先の翌日、今度は須佐の観光振興を牽引してきた行政職員の方が、急逝されました。

須佐男命いかという地域ブランドを立ち上げ、梅乃葉が“イカ屋”として軌道に乗るまでずっと支えてくれた方。まだ若く、信じられない気持ちのまま——

さらに、追い討ちのように、当店キッチンスタッフから「このお盆を最後に辞めます」という、突然の申し出。(外国人だったんですけど、)

もう、心はジェットコースター。感情のアップダウンに振り回されながらも、なんとかお盆営業を乗り越えた……そんな、魂が半分抜けかけた店長が、旅に出ました。はい、温泉です。


「コンパクトで、めちゃくちゃ良い!」有福温泉にて

まずは島根の有福温泉へ。 宿泊ではなく、散策と昼ごはん目的の立ち寄りでしたが、これがもう… コンパクトで、レトロで、すごく良い!

今度は泊まりで来ようと、しっかりメモしました。小さな温泉地って、やっぱりいいな。

そのまま、目的地の温泉津(ゆのつ)温泉へ早めにチェックイン。町並みの散策が楽しく、瑞風も立ち寄るだけあって、古いけど華のある、良い雰囲気。

宿の湯も絶妙な温度で、本当にいいお湯。食事もおいしく、ようやく身体がほぐれていくのを感じました。


神社と龍と海神楽の話

温泉津で密かに気になっていたのが、「海神楽」。 実は須佐の海神楽を始める際に、参考にさせてもらったのが、この温泉津の神楽だったんです。

地元の人が「この場所でやる神楽は、ほんとに感動するから見て!」と口を揃えるロケーション。 ただ残念ながら、ここ数年はコロナや天候に恵まれず、中止が続いているとのこと。

でも、あの“絶賛する顔”を見ると、これはいつか絶対見に来よう、と心に刻みました。

さらに感動したのが、「龍御前神社」。 名前の由来になった“龍の頭に見える岩”が本当に見事で、その真下に建てられた旧社殿のたたずまいも含めて、じわりとくる風景。

翌朝もう一度見たとき、本当に龍の顔にしか見えなくて、なんだか心が静かに満ちるような、不思議な感覚でした。


出雲&日御碕で、まさかの“ウニ丼事件”

2日目は出雲方面へ。さらに足を延ばして、日御碕へ。

目的はただひとつ——食べログ食堂百名店「花房」さんのウニ丼!

実はちょっと斜に構えてました。 「夏ウニの旬、終わってるしな〜」「ちょっと観光客向け感、強いかな〜」などと思ってた自分を、往復ビンタしたいくらい。

普通に、うまい!!!

ミョウバン感ゼロ。味落ち感ゼロ。 なのに、このボリューム!この品質!なぜ!?

・・・普通に他地域産のウニも仕入れるそうですし、島根県からはキタムラサキウニもとれるようですし。あ~そういうことか!と納得。もう一つのウリなのかとなりにはイクラ丼がある。流石にいくらは地元産じゃないだろう。(そこで、気づけばよかった。)

しっかり歴史と仕入れ力を感じましたし、何よりお客様の満足を最優先に考えて構成されているな、というプロの姿勢に学ぶこと多し。 勉強になります。ごちそうさまでした。

その後は出雲大社参道で、お約束のぜんざいと、ちょっとしたお買い物タイム。島根旅行、大満喫でした。


リフレッシュ完了。活イカも、ぶとくなってきた?

心身ともにヘトヘトだった今回の夏でしたが、ようやく一呼吸。温泉と街歩きとウニ丼の旅で、ちゃんと気持ちの切り替えができた気がします。

そして、営業再開。活イカたちも、なんだかちょっと太ってきていて…… 「え、これは“ぶといか”じゃないの!?」と思うような食べ応えのあるサイズ感に。

秋・冬へと向かうこの季節、イカも、お店も、少しずつ次のフェーズへ進んでいきます。

改めまして、ご来店・ご支援、本当にありがとうございます。

新たな気持ちで、またがんばってまいります!

父の訃報と、感謝の記

私事で恐縮ですが、8月6日未明、父が永眠いたしました。

元気だった父が急に体調を崩したわけではなく、定期的なメンテナンスのような簡易手術の予定で、誰もが安心していた矢先のことでした。ところが、予期せぬ感染症の影響で、不本意な入院を余儀なくされることになり、「帰りたいのに帰れない」——そんなもどかしい時間が続きました。

加えて、まだ判断がつかない段階で、治療に関する同意書(後で文句を言わせないためでしょうけど)の提出を迫られたり、終末医療を前提とした説明と選択を執拗に受けたりと、現代医療の在り方に対して、本人も私たちも、少なからずやるせなさを感じました。

それでも一転して、症状が落ち着いたタイミングで、医師や看護師に懇願し、特例的な対応で「3時間だけの一時帰宅」が叶いました。

信仰心の深かった父にとって、「やり残したこと」とは、家に戻って神棚に手を合わせることでした。そして教会を訪れ、親しかった方に車中からでも挨拶ができたことが、父の心にある程度の平穏をもたらしてくれたのだと思います。

帰宅から約1日後、父は静かに息を引き取りました。

その直前の晩には、家族が集まり、昔話を笑いながら話すひとときを持てました。父も自分の思いをぽつりぽつりと語り、最期には、付き添っていた妹に「もう最後じゃな」と言葉を残し、その顔は穏やかでした。

痛みもなく、意識もはっきりとしたまま、周囲への気遣いを忘れずに逝った父。心残りはあったはずですが、それでも「大往生だった」と思わせてくれる最期でした。

入院の付き添いや見舞いを通じて、これほど長く父と会話をしたのは、人生で初めてだったかもしれません。口数の少ない父の言葉を、勝手に解釈していたことにも気づきました。繰り返し語るひとことひとことに、今になって深い意味を感じます。最後の時間は、私にとっても家族にとっても、大きなきっかけを与えてくれたように思います。

父は、萩市田万川の地で生まれ育ち、家業を継いだ後、須佐へ移転。 そして昭和63年には、今の場所に「梅乃葉」を移転オープンさせました。

身内を中心に懸命に働き、現在の梅乃葉の礎を築いてくれました。

私が事業を継いでからは、活イカ・活ウニ・様々な海の幸に取り組み、商品開発や様々な事業への挑戦を続けてきましたが、そのすべての背景に、父の理解と応援がありました。表に出ることはなくとも、私の挑戦を陰で支え、見守ってくれていたことに、今、あらためて気づかされています。

その「見守ってくれる安心感」があったからこそ、私は自由に進み、挑戦することができました。

父は、私にとって、梅乃葉にとって、大きな支柱でした。

感謝の気持ちは尽きません。

そして、これからも父の思いを胸に、家族やスタッフとともに、そしてお客様に喜んでいただけるような商売を続けていきたいと思います。

お盆を迎え、梅乃葉は1年で最も忙しい時期に入ります。 父の遺志でもあった「商売を止めないこと」を忘れずに、 これからも努めてまいります。

どうか今後とも、変わらぬご支援を賜りますよう、心よりお願い申し上げます。

店主

 

”活イカの町”で、活イカを売らない日のこと。

「今日は活イカ、ないんですね…?」

——ここ数年、この言葉を何度いただいたかわかりません。

萩・須佐といえば活イカ、梅乃葉といえば活イカ。
そんなふうに覚えてくださっているお客様が多いことは、飲食店冥利に尽きます。

でも今、私たちの前にある現実は、

「活イカがあって当たり前じゃない時代」

の到来です。


海が“例年通り”ではなくなっている

ここ数年、須佐に限らず、全国各地で近海魚の不漁や、脂の乗らない魚、漁場の変化が起きています。
ケンサキイカも、例外ではありません。

「この時期なら獲れる」「ここの海域なら安定している」
——そんな目利きや漁の勘が、当たり前に通用しなくなってきました。

海の水温、海藻の繁茂具合、餌となる小魚の動き……
どれも“読みづらい”どころか、「生態系全体の“変調””」日々感じています。

だからこそ、私たちも、
「獲れたものを出す」だけでなく、「どう味わってもらうか」まで提案できる存在にならなければ、と思うようになりました。


「活じゃなくても、うまい」が伝わった日

そんな中で、今年から本格的にご提供を始めたのが、「剣先イカの霜造り」です。

活イカがあっても、あえてこちらを選んでくださる方がいたり、
前回食べて気に入ってくださった方がリピートしてくださったり——

ちょっとずつですが、「活きていないイカのうまさ」=「剣先いかの旨さ」に気づいてくださるお客様が増えてきたことに、嬉しさを噛み締めています。

特に、「イカを塩で食べる」楽しみ。
これは、活イカだと実は伝わりにくいポイントなんです。

当店では、剣先イカを信頼おける仲卸や生産者から仕入れをし、細胞を壊さず特殊冷却&超低温保存し、丁寧に霜を振り(湯にくぐらす)、食味をあげる細工を施し、旨味を引き出した“霜造り”にしてご提供しています。
それを、萩近海の海水で作られた天然海塩「萩の塩」で味わっていただく——
これが、「イカって、こんなに味あるんだ」と感じていただける瞬間になるよう工夫しています。


「店長の自画自賛」から、ちょっとずつ

もうひとつ、じわじわとファンが増えているのが、
「剣先イカとノドグロのスープカレー」

これは、梅乃葉のスパイスカレーシリーズからスピンアウトした一品で、
最初は「店長の趣味全開じゃないか」と言われたようなメニューでしたが(笑)、
最近ではリピーターの方も増え、「今日もこれが食べたくて来ました!」という声もちらほら。

これから、他の事業者さんとのコラボにも発展していく予定で、
梅乃葉の「食の外展開」の旗印になるかも?という予感もあります。


いま求められているのは、「新しい魚の楽しみ方」

「本マグロ」「境港サーモン」など、同じ日本海側である山陰「境港」からの直送魚も喜んでいただいていますし、
秋以降には「紅ズワイガニ」などの旬食材も登場予定です。

その一方で、日本人は本当に、水産物へのこだわりが強い民族でもあります。
「天然じゃないと…」「脂がのってないと…」と感じる方もいる中で、
高品質でハイレベルな技術で育てられた養殖魚の新たな価値を、
私たち料理人がどう伝えていくかが、これからの勝負だと思っています。


梅乃葉として、できること

私たちは、「活イカの町」の看板に、誇りを持っています。
でも、その“活”にこだわりすぎず、「変化する海」「変わらない美味しさ」の間に立ち続けたい。

そのために、ただ素材を出すのではなく、
調理の力と、ストーリーと、味わう体験を合わせて、
これからの食文化を、お客様と一緒に紡いでいけたらと考えています。


今日は活イカじゃなかったけど、美味しかったよ
そんな一言をいただけるたび、
またひとつ、未来へ進める気がしています。