2009年4月16日
先日広島まで行ってきました。「須佐男命いか認定店」として、養老乃瀧グループの高品質素材を扱う海鮮居酒屋「だんまや水産」の新店舗のレセプションにお呼ばれでした。
新たな挑戦です。
既に「男命いか」の広島への流通はあるものの、正式な認定店はありませんでした。得てして、活イカなどは県境を超え九州など他の地に運ばれて消費されてきた経緯もあり、その大消費地の地域や飲食店事業者(水産業者)が、
「活イカなんてどこでとったって一緒だろ!」
と言わんばかりに、活イカ業界を引っ張ってきましたからね。産地をブランド化する行為そのものにとっては大きな壁でした。色んな魚が御当地ブランド として名を上げている中、我も我もと、ただブランド化すれば儲かるかのように乱立して消費者を混乱させているのも事実です。ただ、イカは難しいのです。産 地による特徴の差異なんて微妙すぎて一般的にはわかりませんし、海の自然環境も変わってきており、同種の同じイカが必ず同じ地域に来ているのかさえ怪しい のです。完全養殖も、肥え太らせる養蓄さえもできません。
違うのは「扱い方」、 そして「扱う人」
イカは、死に方、死なせ方、その後の扱い方ではっきりとその状態が分かれてきます。イカの価値とは、先ず「種としての価値」(ケンサキイカが最高ですw)。そして、「熟達した扱い方の価値」だと思います。
この不況の中の新機出店
広島はもともと「マツダ」のお膝元。世界的不況の影響は大きく、飲み屋・飲食店は大打撃です。そんな中の出店に敬意を評しています。活イカがなくともうまくいっている居酒屋ブランドがベースにありますから、全てが冒険ではないにしても、出店までの経緯の中で関れたかとは大変勉強になりました。
梅乃葉との関り
最初に、養老乃瀧グループの役員の方からコンタクトが私の方にあり、「須佐男命いかを扱いたい」それが始まりでした。須佐観光協会の理事の立場からしても、須佐の第1次産業の生産者が元気になることが、これからの須佐観光や経済のキーワードにもなると思っていましたので、活イカのみならず情報の提供やアドバイスをさせて頂きました。
又、新店舗の精鋭である熟練調理人の方に活イカを扱うノウハウや秘密をできるかぎりお教えしたのも、先ずは「男命いか」を扱う店舗が成功しなければ次のステップに進めないと思っていたからです。
期せずして新店舗の看板に当店の写真素材を使いたいという申し出がありましたので、それも、無償でOKにしました。まあ、もともとブランド委員会で使うのも許可していましたし、数多くのメディアにすでに「須佐男命いか」の公式な写真素材として露出していますので、須佐から離れた広島の地でそれが看板として使われても、問題などありませんでした。
それに、「須佐男命いか」という言葉が、インターネット上に1ページも存在しない2004年1月私が始めてブログを開設し、ハンドルネーム「みこと」で、この写真素材を使って活イカをPRし始めたという、しょうもない自負がありましたので、この写真こそ「男命いか」だ!と思って頂けるのは光栄な話です。
それに、うちで使っている看板と同じものですからね、なんか勝手にうちの支店ができたような気分になります。(規模は支店の方が大きいですが・・・・爆)
※この写真素材は、梅乃葉の宣伝やクチコミに関してでしたら、使用は自由です。その他に関しては、許可が必要です。
広島からの御客様へのこだわり
広島で修行した私にとっては、広島の御客様を須佐のうちのお店まで来てもらうことは、以前より目標にしていたことで、どんどんその数は増えているところでした。そこで、今回の話は、「養老乃瀧グループの新規出店」ではなく、
「須佐ってどこよ?」
「男命いか(活イカ)って何?」
っていう広島でのきっかけ作りという位置付けでした。お蔭様で、この出店以来当店への問合せも増えています。話をさせて頂いた役員の方が何度も、
「お宅にメリットは無いのにご協力ありがとうございます」
といつもおっしゃってくれますが、なんのことはない、メリットだらけです(笑)。これで漁師たちが元気になるんなら、お礼はうちの方がすべきですw。
古巣への感謝・・・・・そして哀悼
広島への久々のドライブ&ショッピング&散策です。昔の職場にも顔を出し、近況を聞いたり、経済話を話したり、色んな刺激を受けて充実した時間を過ごせました。
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最後帰る道中に、和食修行でお世話になった料亭を見に行きました。当時お世話になった板長が亡くなっていたと言う話を聞いたからです。
極短い間でしたがお世話になり、今でも頻繁に思い出す職場です。入り口前で一礼し、帰りました。「ありがとうございました。」