イカは何日間生きられるのか?

台風の影響

この土日、台風が過ぎ去っても時化ていたため、活いかの提供はできませんでした。

そうとうは知らず、楽しみにお越し下さった方には、

申し訳なく、恐縮です。

 

「瀬戸内海は波ひとつなかったよ。」

・・・日本海は波しかありません。

「このために東京から新幹線で来たのに・・・」

・・・申し訳ありません。

「今から店長、捕りに行ってよ・・・」

・・・それはちょっと。( ̄△ ̄;)

 

秋晴れの最高のドライブ日和です。

そんなタイミングには間に合いませんで、

先程、夕方、イカ釣り漁船久々の出港ができたようです。

明日は少しは提供できるかと思います。

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「生きるのか?」

お題の件ですが、

通常、お客様にはイカは3日程度しか生きませんと言っています。

事実、そのくらいを目処にしておかないと、

死んでしまいます。

 

では、イカって生物が、虫のように3日程度の寿命しかないものなのかというと、

もちろん違います。

 

言い方を変えると、

「イカは何も食べさせないで、水槽という通常の生活環境でないところで、どのくらい生きるのですか?」

という質問が原型となります。

 

最長で1周間~10日間くらいが限界です。

それも運が良くてです。

それも、そんな状態を保証することは絶対にできません。

 

生かすのが難しいわけ。

なぜなら、その間に、活イカ屋さんは、

たくさんの活イカを同居させます。

生きのいいやつを新たに入居させます。

同居する奴が、網カゴで、取られていくたびに、

暴れていろんなものを吐き出し、その場を汚します。

日がたち、弱ったイカは尚の事暴れやすいです。

産卵期のため、体力がもともとないやつもいます。

釣り方によって、入荷した時から弱っている奴もいます。

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その他、照明の具合、ろ過システムの調子、冷却装置の効き具合などなど・・・・

ちょっと、不具合でもあれば、

共食いを始めたり、墨をまき散らして、みんなとの共有空間を、

ぶち壊します。

 

そういう複合的な要素満載の中、

あえて、平均的且つ確かな数字を言うとしたら、

3日程度ということです。

 

海辺のお店で、海水を地下から引き上げ、

水槽にかけ流し式にできるところは、多少違うでしょうし、

又、海の中で生かしておくシステムを持っているところも有りますので、

そういうところは、その限りではありません。

 

実は生かすこともできる!?

では、餌を与え、ストレスフリーな環境を極力作ったら、どうなのか?

というと、そりゃ、生きます。

ただし、ケンサキイカは、贅沢なやつでして、生きている餌しか食べません。

生き餌を与え、ぶつかり合うような鬱陶しい同居する輩がいない、温度も快適、水質も快適、

セレブのような上質の環境を与えてあげることで、長く生かすことは可能なのです。

 

 

ま、もちろん、やれないですけどね。

 

でも、科学や工夫は、もっと、いい方法を見出してくれるのではないか!?

九州や北海道の大学機関では、イカは盛んに研究されています。

もっと、もっと、自分も研究してゆきたいと思います。

 

「いつもあるわけじゃないから、逆に価値がある」

とおっしゃって頂ける方もいますが、

それでも、多くのお客様は、

「いつ行っても活いかはある」

と、思ってしまうものです。

 

特に、これからの時期は、時化も多いので、

より、入荷や見込みに関して、情報発信に努めたいと思います。

 

 

 

あ!

もうちょっとで、締め切りです!

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ぶちうま活イカ

 

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是非!

 

希望と絶望と幸せと。。。

引き続き健康ネタですがw。。。

 極、身近な知人が末期がんを宣告されました。。。

「胃が痛い・・」

そんな症状だったそうですが、

行った病院は、私が先日「胃が痛くて」行った同じ病院だったそうです。

検査結果は、最悪の数値、後日精密検査の結果、

治療の術はないとのこと。

50代前半のまだまだこれからという時です。

 

言葉にならないですね。

悲嘆にくれる身内や周囲も痛々しいですが、

本人や奥様の気持ちを推し量ることすら出来ません。

今の自分には立場を置き換えて考えることすら恐ろしいです。。。

 

あまりに、突然で、絶望的な宣告。

ほぼ同時期に同じ病院に、同じような理由で行った自分は、

大したこともなかったのに。

 

こういう機会でもなければ、

人生をぐっと、俯瞰して見ることを忘れる毎日です。

今の自分の立ち位置が、ずれてるとも、不本意であるとも全く思いませんが、

今、眼の前の時間の価値、

家族と共有する時間の価値、

仕事に情熱を持つ時間の価値を

考えさせられます。

 

今日ラジオで、

子供の頃に感じる時間の長さ(長く感じる)と、

大人になってからの時間の長さ(短く感じる)の感じ方が違うのは、

生きてきた年数が分母にくるからという考え方があるそうで、

 

その数式はともかく、

生きてきた時間の使い方が、今に反映しているのは確か。

 

その方に対しては、奇跡的な回復を祈るばかりですが、

言い方は悪いのですが、

自分自身、その方より、多少長く生きられるかもしれないだけの可能性の違いです。

眼の前にある時間に感謝したい気持ちに溢れてきました。

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老化と生活習慣と。。。

胃が痛い。。。。

昨日より、急な胃の痛みに悩まされていまして、

食事をするたびごとに、痛むので、

今日は、午後病院に行って来ました。

 

運動不足、生活習慣、老化

原因はそのあたりからくる、

逆流性食道炎でしたが、

原因がわかっただけでも、なんか安心します。

現状の自分の体力とそのつきあい方みたいなものが見えてきますから。

 

原因は何か?どうしたいのか?

原因がわからないうちの、痛みや症状に悩まされる期間って、

いろんな恐怖に襲われますね。

 

病院の待合室で

「これって、仕事でも一緒だよな~。」

などと、思いふけったりしてました。

 

ただ、「どうしたいのか?」がなければ、

原因を見つけようとすることにすら至りません。

 

病気の場合、「どうしたい」とは、言わなくても「健康になりたい」しかありませんから、

医者は、原因をピンポイントで探してくれます。

 

これが仕事だと、「どうしたい」は、人それぞれです。

ですから、現状が、その人・事業者にとって、いいのか悪いのかさえわかりません。

 

より強い「どうしたい」という意思やイメージが、

現状との差異を浮き彫りにし、次なるステップへも積極的なものにしてくれます。

 

幸いなことに、梅乃葉としては今年は多くの出会いと、

そこから多くの素晴らしい知恵を頂いており、

又、先日のアンケートによって、たくさんのお客様から、

ヒントやメッセージを頂き、現状と今後どうしてゆくべきかというものが

具体的になってきています。

 

病気を治すのも、お店(事業)を良くしてゆくのも、

結局、自分次第。

 

病気を治す習慣の改善の意思くらい持たなければ、

何事も出来やしないと思いつつ、

振り返れば、

膝・腰痛、睡眠時無呼吸症、良性発作性頭位めまい症

そして、逆流性食道炎。。。

あれやこれや持ち続けている自分に、

「おい!」

とツッコミを入れております。

 

イカロボメッセージ

10年後の須佐とは。。。

復興計画と町の変化いろいろ。。。

須佐や田万川地区で被害の大きかった河川流域ですが、

10年計画で、川幅の拡張、橋梁の架け替え、

川底の掘り返し等が行われるそうです。

 

そこまでしてくれる(そこまでできる)のは、

国が復興に予算を組んで頂けたからですが、

それが、10年後まできっちり履行されるかどうかは、ともかく、

壮大な目標な分、きっちりした計画が当然要求されますし、

一気に事が進むわけではないことは、住民もわかっています。

 

しかし、 土嚢でとりあえず防いでいる護岸や道路の崩落現場なども、

この計画履行待ち状態で、災害後のままです。

 

今来ている台風のような、ちょっとした豪雨は、

実際の身の危険を感じている家屋や集落もあるので、

早く、進まないものかと思う気持ちを、誰もが思っている今の須佐です。

 

いろいろな変化

保育園は、旧奈古高校須佐分校の地に移ることは決まったそうですが、

校舎改築か新築かは、まだまだ、未定だそうです。

 

 

仮設住宅も同じく、旧奈古高校須佐分校跡地に出来ました。

ようやく落ち着けたという入居者の言葉も聞き、期限付きとはいえ、安心しました。

 

冠水した中津地区にあった「松原医院」は、公民館での仮の診療もやめられ、

9月いっぱいで廃業されました。

代わりに弥富診療所の中山先生が、元須佐診療所にて掛け持ちで診療をされることになりました。

 

萩市災害復興局が須佐総合事務所内に設置され夜遅くまで作業されております。

http://www.city.hagi.lg.jp/soshiki/detail.html?lif_id=35859

義援金の配布などもスタートし、難しい基準ではありますが、被災者に配布されています。

 

 

先月末には、須佐の保育園・小学校・中学校の合同での運動会がありました。

運動場も使えず、十分な練習も出来ない中、出番も少なくなりましたが、元気いっぱいの運動会でした。

 

 

最近になって、ようやく畳を入れられる家屋もあります。

浸水した家屋一切を壊した家もあります。

建て替え、新築、まだまだ、悩まれているかたも多いです。

土砂崩れなど、河川とは関係なく、被害にあった所も多く、

山肌を背にした家などたくさんありますので、

お金をかけて対策スべきか、 家から離れるか、など、思いは様々です。

 

先日も、NHKで、取り上げられた須佐湾の状態など、

先行きが見えないことも多いのです。

 

この2ヶ月半あまりの中で、たくさんの変化がありました。

復興10年計画を聞いて、もちろん、須佐の風景が変わります。

思い出の場所が、なくなります。

https://www.google.co.jp/maps/preview?ie=UTF-8&hl=ja#!data=!1m8!1m3!1d3!2d131.60158!3d34.617499!2m2!1f319.65!2f79.05!4f75!2m7!1e1!2m2!1sEqi-XNQAlG1nWBQ0A0IWLg!2e0!5m2!1sEqi-XNQAlG1nWBQ0A0IWLg!2e0&fid=5  

行政対応の中で、どさくさ紛れに定年間際の恣意的な動きに勤しんでいる方もいます。

言いたくなることもあります。

 

 

ただですね、 もう、みんな次のことを考えているんですね。

目の前の生活と仕事だってあります。

来年も再来年も、10年後だって、須佐はあり続けますし、

いい町でありたいんです。

 

 失ったものは様々ありますが、

それによって気付かされたことは、途方もなく大きくあります。

ここまでの状況だからこそ、今まで、やらなくてもいいと避けてたことを、始めるきっかけになることもあります。

今まで、会話さえしたこともなかった、近所の方と、復興中の助け合いで普通に交流するようになったり、

仕事上、脆弱な体質を発見することだって、色んな事業者が感じたことでしょう。

新たな取組みを始めざるをえない状況は、新たな勉強や努力が必要です。

自分を可哀想がっていたら、とてもそんな一歩を踏み出せません。

 

10年も経てば、たとえ被災がなかったとしても、

須佐の状況はドラスティックに変わっています。

たとえ河川は立派になったとしても、

子供もいない。若者もいない。後継者もいない。事業者がいない。仕事が無い。。。。

って理由とは関係ありません。

 

  「何かをしなければ!」

 

そんな渇望を共有できるのは、今、被災をした須佐や田万川、弥富や小川だからこそできることだと思います。

なかなか、超高齢化過疎地としては、ハンデの多い地ですが、

今が、チャンスとさえ思う今日このごろです。

 

梅乃葉的にも、挑戦は続いています。

やれることをコツコツと積み重ねながら、

将来への投資を進めています。  

 

 

これからです!

 

イカロボメッセージ