萩市生活応援センターと災害復興局設置と その先と。。。

萩市生活応援センター9月1日の設置

http://www.city.hagi.lg.jp/soshiki/detail.html?lif_id=35741

 

萩市が災害復興局 9月中旬にも新設 3事業部で構成

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/yamaguchi/news/20130828-OYT8T01483.htm

都市基盤復興、産業再生、生活再建支援の3つの柱

7月28日の豪雨で甚大な被害が出た萩市は9月中旬にも、被災地の支援や復旧に取り組む「災害復興局」を新設することを決めた。他の事業を見直して財源を確保。最低3年間、全職員の10%以上を復興業務に特化させる。市は「一刻も早い復興へ全力を尽くす」としている。(橋谷信吾)

9月4日開会の定例会に市組織条例の改正案を提出する。市によると、災害復興局は、死者が出るなど被害が集中した地域に近い須佐総合事務所に設置。萩市役所から被災した地域まで車で片道約1時間かかるため、移動時間の短縮につながる。

復興局は、都市基盤復興、産業再生、生活再建支援の3事業部で構成。局長(部長級職員)を含む31人の専従職員のほか、大きな被害が出た須佐、田万川(たまがわ)、むつみ3地区の総合事務所の職員計48人も同局の業務を兼務することで、全職員(消防など除く)の約12%の人員を割く。

同局職員は、被災者生活再建支援法に基づく県や国の支援金や市独自の家屋復旧の補助金について、被災者への周知を徹底し、仲介業務などを行う。  ・・・・(読売新聞

ということだそうで、復興への体制を形を変えながら、整えているそうです。

 

体制・システムでは変わらぬ事情。。。

 

色々な情報が錯綜しています。

いい意味悪い意味でも、情報を公に出せないまま、

一部住民に話が進められていることもあります。

 

そんな中で、「こうして欲しい」「こう出来ないのか?」といった意見・陳情があります。

おそらく、声は拾われるでしょうけど、

状況・背景・事情を知らされずに出た意見など、

結局は、感情論に過ぎず、汲むべき声となるのか?・・・そりゃ、わかりません。

 

情報の共有」ということに関して、

行政という機関が、

そのプラス効果(目標・課題・ベクトルの共有など)の部分を取り入れることより、

情報を出すこと、共有することを、恐れ、消極的になり、

マイナスの面、要は、「反論」・「停滞」を避けることが日常的になっていると、

被災する前から(特に、地域振興・観光振興の場において・・・まあ、そこしか関わることがないんで)、感じていました。

 

いつしか、そうしなくていいことが当たり前になっていたり、

それ以外の選択肢は不可能とさえ思い込んでいるかのような風潮もありました。

 

で、この度の災害を受け、直後からの復旧時、

「情報提供・共有」がいかに、低い位置にあるか、痛烈にわかった気がします。

(これは住民に対してだけでなく、職員間やボラセン等との横の関係にも感じました。)

 

萩市防災安全課の情報発信に関して、

現在、又、災害前の情報発信力は、大変素晴らしいと思います。

ですが、災害直後、一旦、この動きが停滞した期間がありました。

なぜでしょう?

詳細はさておき、

原因は、結局、「情報発信・共有」の意識の低さではないかという指摘もあります。

 

結局 人

 

当然、災害対応・復旧は安否に関わること、ライフラインの復旧が優先されるのはわかりますが、

いきなり、そういう重要視していないことを嘆願しても、

「??」・・・どうにもならないという印象です。

 

逆に言い換えれば、

普段から、住民との距離感や

自治や市政への双方向の反映のシステムによって、

関わる人の情報への意識が違っていたのなら、

この度のような想定を超える災害時でも、きっと、それは活きてたのだろうなということです。

 

「では、どうすればいいって?」

住民と行政の双方向の意思の共有・反映のさせ方として、

最近、Facebookでシェアされていた事例ですが、

・ポートランドの事例

北浦WEB田村さん)・・・・・

なぜ、ポートランドは先進的な行政として注目を浴びているのか?

市長がいて、議員がいて、議会があり、その下に委員会があり、委員会ではステークホルダーが利害関係を持ち寄り話し合う。

システム的には日本とほぼ同じだけど、結果が違うとのこと。

市民との距離感が近いという表現をしていたが、民意が反映されるものだという感覚、民意を反映させるべきだという感覚が相対的にあるのだろう。

ステークホルダーとその下にいる人たちで共通理解・共通認識を密に行っている。シェアすることを重要視している。

ステークホルダーは自らの意思でというより、その団体で納得いくまで議論し、その団体の皆の腑に落ちる話を委員会に持ち寄る。

違うところでいえば、ステークホルダーのスキルだと…。

ステークホルダーはステークホルダーでやっていくスキルを持っているし、そのスキルを養うカリキュラムが存在するとのことだ。

役職になったからそのスキルを持っているという感覚ではなく、役職になったからこそ身につけなければならないスキルがあるという感覚。

確かに、そこは日本のステークホルダーとは違うなと感じる。

日本のステークホルダーは「自分の意見を通せる位置にある」という認識の方が大きいかな…。

だから、ステークホルダーになった時点でちょっとしたゴールになっている。

対してポートランドのステークホルダーはステークホルダーになった時点で新たな学びのスタートが始まる。

・・・・・

 

市民参加の精神を学んだ米国オレゴン州ポートランド視察

基礎自治体のない地域だからこその”自治”/ポートランド報告②「非法人化地域で見えたもの」

  

・三重県松阪市の事例

自らを「永遠の偽善者」と呼ぶ若手首長は、
なぜ住民のために生きることを決意したのか
――山中光茂・松阪市長インタビュー

元歌舞伎町のすご腕スカウトが挑む新しい行政
33歳で初当選、異能の市長が地方を変える(上)

 

できるできないは別として、

不可能と言い切るほど、住民の声を反映させる方法がないというわけではないということです。

(普通は、議員がやってるから・・・で、片付けられるテーマでしょう。先ず、片手落ちでしょうけど。)

 

松阪市の事例は、市長の強烈なリーダーシップと言うより、

市長の強烈な決意・意思を感じます。

 

ポートランドの事例では、市民性などもあるかもしれませんが、

システムとして機能しているという事実は素晴らしいの一言です。

 

行政だけの課題ではない。

どちらにも言えるのは、

住民が率先して地域に関わる意思を持たなければならないし、

学んでいかねばならないこともあります。

松坂市長の言う、「役割と責任」を住民自身が持っていくことで、

こういったことも現実的な話となるのかなと思います。

 

依存社会の常識を捨てよう!

何かをしてもらって当たり前。

「行政がやってくれんにゃあ・・」という合言葉。

どこのどんな地域でもよくあることです。

 

自分たちは社会的弱者で、(そうでなくても)何もできないという思い込みと、

その裏に無意識に隠す、行動や勉強することの「面倒くささ」「格好悪さ」という本音。

 

依存していれば楽。

でも、いつまで、文句・陰口という念仏を唱え続けたら、

極楽にゆけるのか?(満足するのか?)

人をあてにして、不満を言い続けても、満足は絶対に得られません。

 

行政も住民自身も変わってゆかねばならないって、薄々わかっているのなら、

この住民全員が、何かが必要と感じている今こそ、

何かを始める良いきっかけだと思います。

 

この機運を、単に、「合併は失敗だった」とか、「誰かが悪い」という、

まったく、生産性のない愚痴にすり替えるべきではないことだけは確かです。

合併があろうがなかろうが、

この度の災害対応は、須佐町だったら、どうにかなったわけではありません。

住民の依存意識が変わっていたとは到底思えません。

 

マイナスの体験よりも、今回受けたプラスの体験を次に進化させるべきです。

無償の愛と支援をボランティアの方や周辺他市町村・縁のある市町村からも受けた「受援力」を身につけ、

住民全員に芽生えた、危機意識と防災対応への機運。

そして、お隣さんや地域の消防・自治団体・などから受けた、助け合う精神や喜び。

情報やライフライン・必要物資が、いかに、手元に届かないものなのか、不備という現実の学び。

それらを、須佐という小さいコミュニティだからこそ実現できる「何か」はきっとあると思います。

自分たち自身で「何が」できるか?

どんな「役割」を持つことができるか?

どんな「責任」を自覚してゆかねばならないのか?

それを踏まえて、復興に主体的に関わってゆきましょうよ。

 

※防災のみならず、減災という考えも必要です。防災・減災・受援力について

 

復興3年間で。。。

大きな災害事象のほうが多いので、まずは、

都市基盤復興、産業再生、生活再建支援というカテゴリーの中に、

どういったことが含まれるのかわかりませんが、

ここでも又、小さなことで、重要度の低いことは、

後回しにされる傾向はあると思います。

(ある意味当然の優先順位ではあるのですが・・・)

 

特に、文化です。

今回、郷土資料館(中津交差点)の被災復旧も、随分後回しにされていたそうです。

個人的に思いの強い公民館職員が極力早めに対応して、復旧は進みましたが、

須佐は、記録や過去の整理がもともとずさんでした。(人事がころころ変わるっていうのも原因ですが)

それによって、気がついたら、失ったものの大きさを後で知ることも多いです。

 

このたび、災害などなければ、

個人的にも進めていたものがあります。

災害当日花火大会の日にあるはずだった、

弁天祭の神事「海上渡御」の文化財としての評価の推進です。

 

今まで、文化財として評価されなかった理由は、

  • (漁師の排他的な習慣の中で)知ることができなかった。
  • (海の上だから)見ることができなかった。

というのが、主な理由です。

 

古文書の記録としても、同時期から行われていて、

船歌の世襲の歴史や特徴なども似ている山口県の無形文化財でもある萩の「お船謡」や

萩市の無形文化財の指定を受けている須佐三原の「田植えばやし」は、

その価値を評価されています。

 

この漁師が紡ぎ続ける「船歌」や「海上渡御の神事」は、

その価値ではかられることなく、記録もなく、

知られる前に、少しづつ途絶えようとしていました。

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そこで、今年は、須佐出身のヒップホップアーティスト「2-EIGHT」に協力を求め、

対外的にPRしてゆくことから始めようとしていました。

しかし、当日は、記録的・歴史的な豪雨。

 

神様を載せた船は沈みました。

 

被災したものは、ものだけではありません。

こういった文化の継承には、どれだけの先人の思いが積み重なっていたでしょう。

こういったことのためにも、無形文化財の指定をなんとか取り付けようと動いていました。

指定されていれば、もちろん、文化財保護としても対応は速やかに進んだでしょう。

しかし、今は、後回し状態です。いや、復旧リストにすら上がっていないかも?

 

文化より、生活に密着した事のほうが復旧は重要という意見は、正論でしょう。

しかし、いつ、誰が、このことを考えてくれるのでしょうか?

郷土資料館の復旧は?益田家墓所下の土砂崩れは?育英館の流された門は?

須佐で災害で亡くなったのは、郷土史研究の重鎮でした。

誰が、郷土の歴史を紡いでゆくのでしょう?

そんなこと生活には密着していません。

 

それこそ、誰かに依存していても、話になりません。

自分にできることをやっていこうと思います。

 

願わくば、この度の復興局が万能であるかのうように思うことは、

やめましょう。

結局、自分たちの「役割」と「責任」を意識しながら、

3年先、10年先のその先を見据え、

自身に何ができるかを考えていきましょう。

 

 

店長:福島 について

山口県萩市須佐の料理屋「口福の馳走屋 梅乃葉」店主
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